第三章 テオファニアの夜。

 どこへ連れて行くんだろう……この人。
 あたりはすっかり暗くなっていたが、人通りは多く、街路樹を眩いほどのイルミネーションが飾っていた。
 少し離れて歩くと、すぐに止まって、レオーネは蜜色の髪を揺らして振り返ると、まるで日の光のような明るさで微笑む。

 レオーネ。
 イタリア語で獅子の意味だった。確かにライオンのたてがみを思わせるような見事な金髪を彼は持っている。
 男でこんな奇麗な人を、サクラは見たことがなかった。
 いくら修道院暮らしが長いとはいえ、外界とまったく縁のない生活をしていたわけではない。
 社会的な奉仕活動もしていた。
 まんざら、他人とのコミュニケーションが下手だとは思っていなかった。
 どんな人とも仲良くなれる自信があったのに……。
 なぜか、レオーネだけにはうまく話せない。
 舌の根がこわばり、言葉はもつれて、目は干乾びる。
 優しくされると、どうしていいのか困ってしまうのだ。
 決して嫌だからではなくて、本当はとても嬉しい。それなのになぜか憂鬱になってしまう。
 こんな挙動不審な態度のせいでレオーネに迷惑をかけているのは、承知している。
 でも、自分でもどうすればいいのか判らないのだ。



 ……また落ち込んできた。
 サクラは泣きたいのを堪えた。そうしなければ、きっとレオーネが心配する。
 息を大きく吸い込んで、顔を上げると目の前に大きな綿菓子を突きつけられた。
 レオーネが人懐っこい笑顔で、こちらを見下ろしている。
「日本語では綿の飴とか菓子というのだろう。ギリシャでは老女の髪の毛マリ・ティス・グリアスっていうんだ。こう言うと食欲なくしそうだな?」
 気がつくと周囲には、おもちゃや、ポップコーンなどを売っている屋台がいくつもあった。
 その中でもガラスで作られた目玉模様のアクセサリーやキーホルダーが、サクラの目を引いた。
 さまざまなビーズジュエリーが可愛らしい。
 ギリシャの土産物屋では、わりとどこでも扱っているらしいのだが、この目玉模様には意味があるのだろうか。
「こういうのは好きかな」
 レオーネはペンダントトップ手にとって見せた。
 シルバーのリボンをあしらったハートの形をしたもので、中心に青い眼がある。街中でこれとよく似た目玉モティーフのアクセサリーをつけたギリシャ人女性をよく見かけた。
「迷信だけどね。眼で呪いをかけるそうなんだ。これはバスカニアって邪視避けの護符だよ」
 店番の老婦人がギリシャ訛りの英語で、二人の会話に割り込んでくる。
 陽気な口調で話しかけてくるが、何を言っているのか。よく判らない。
 レオーネが愛想よく答えている。
 日本語とイタリア語だけではなく、ギリシャ語にも通じているようだ。
「これはギリシャの海の青なんだそうだよ」
 言われてみれば、青ガラスで出来た目玉は、エーゲ海の深い青を想像させた。
「……ロマンチックですね」
 でも、ゲゲゲの鬼太郎の目玉オヤジみたいにも見えるけど……。


 
「ギリシャでは、顕現祭テオファニアまではクリスマスなんだよ。おいで、あっちに回転木馬があるよ」
 サクラがいらないと言う前に、レオーネはさっさと目玉おやじみたいなペンダントとブレスレットを買ってしまう。そのまま手を引いて、人ごみの中を駆け出す。
 綿菓子を片手にサクラは、つんのめりそうになりながら追いかけた。
 もう一月だというのに、まだ巨大なクリスマスツリーが飾られ、まるで童話に出てくるような小さな家がならんでいる。チョコレートの甘い香りが漂う。
 その中に、赤と白のストライプのテントのついたメリーゴーランドを見つけた。
 遊園地にあるような、かなり大きな規模のものだ。

「おいで、乗ろうよ」
 楽しそうに笑うレオーネは、まるで子供のようだ。困ってしまう。
 恥ずかしい。こんな子供の遊具に乗るなんて……。
 おまけに、手には綿菓子にチョコレート。バスカニアのアクセサリー。おのぼりさんそのものだ。
「わたし……いいです。レオーネさんだけで……」
「俺一人じゃ恥ずかしいだろう」
 やっぱり、恥ずかしいんだ。
 外国の人って、わりとこんなの平気なんだと思ってたけど……。
 ヴァチカンの兵士はスイス人だったのかしら。
「でも、これ」
 サクラがまだ口もつけていない綿菓子を見せると、レオーネは笑って答えた。
「持ったままでいいよ。行こう?」
「えっ、でもあの……うわあっ」
 文句を言う間もなくサクラは、レオーネに横抱きにされて、木馬に乗せられた。
 日本のメリーゴーランドより、それは大きく思ったより高い。
 隣の木馬に乗ろうとするレオーネにサクラは、恨めしそうな目を向ける。
 その気配を察したのか、またレオーネは笑う。
 真っ青な双眸がイルミネーションの光を映して輝く。西洋人の眸は、まるで宝石のようだ。

「ちょっと待っておいで」
 そう言いおいてレオーネは、サクラを一人木馬に残して、どこかへ行ってしまった。
 背の高い木馬から降りることもできずに、サクラは慌てた。
 ほんのわずかな時間に過ぎないのに、とても怖い。
 考えれば、レオーネは決してサクラから離れなかった。
 せいぜいトイレに行く時くらいか。
 コーヒー一つ買いに行くのも、かならずサクラを傍につれて売店に向かったし、空港の搭乗手続きはつきっきり、何もかも一緒だったのだ。
 機内食は手際よく、肉を食べないサクラのためにベジタリアン・ミールを用意させ、退屈しないように話しかけてくれる。
 レオーネは驚くほど日本語が上手だ。
 言葉の判らないサクラを案じてくれていたらしい。過保護すぎるとも思ったが、彼がいないことが今はとても不安だった。

 時間にしてみれば、ほんの二、三分に過ぎないのに、サクラはもう涙ぐんでいた。
「困ったお姫様だね?」
 ふいに背後から、訊きなれた優しい声がした。
「レオーネさん」
 顔を上げると、レオーネが同じ木馬の乗ろうとしている。いくら大きな木馬でも大人が二人乗るのは無理ではないのか。
 慌てるサクラを横目に、レオーネは悠々と木馬をまたぐと、サクラの背中にぴったりとくっついて抱き寄せる。
 サクラはびくんと身を震わせて、小さく叫んだ。

 意識過剰すぎる。
 そうは思うが、血液は一気に上昇して脳が沸騰しそうだ。
 ほのかにレオーネの体から、柔らかな森林の香りがする。
 心臓が暴走を始めて、今にも口から飛び出しそう。

「な、なんで、一緒に乗るんですか」
「君がなんとも言えない顔で俺を見るから、一人じゃ乗れないのかなって」
「だっ、大丈夫れす!!」
 語尾がおかしい……声がひっくり返った。
 ああ、馬鹿。わたし、落ち着きなさいってば!
 背後で、レオーネが笑っている。

「係員に聞いてきたから、二人で乗っても大丈夫だよ」
「……で、ですけど……」
「大丈夫じゃないのは君のほうだろう、サクラ?」
「そ、そ、そんなことは」
「ほら、動くぞ。音楽が」
「あわわわっ」
「無理やり二人乗りしてるんだから、暴れると落ちるよ」
 耳もとでレオーネの声がして、サクラは総毛だった。
「お、降りる」
「そんなに怖いかな。小さな子供でも喜んでいるんだが」
 怖いのはむしろ、貴方です。
 とは、言えない。
 彼はいやらしいことをしているわけでもなんでもない。単に心配してくれているだけなのだ。
「俺にしがみついてかまわないから、すぐに止まるよ」
「い、いえ、もうけっこう……」
「震えているね。サクラ、すまなかったな。君を喜ばせたかったんだが……」
「ひっ!!」
 抱きしめられて、サクラは硬直した。
 心臓はすでに悲鳴を上げていた。
 大きな広いレオーネの胸。抱きしめられた体はまるで火傷したかのように熱い。
 耳もとに感じる吐息と、微かな体臭。それは決していやなものではなく、むしろこのまま彼の胸に鼻をこすりつけたいぐらいの気分で……。
 って、何考えてるの。わたし……。

 サクラは、自分で自分に驚いていた。
 周囲には親子連れや、恋人同士の男女も多い。
 両手いっぱいにお菓子を抱えたままで木馬にのる子供。
 楽しそうな笑いさざめく声は、子供より大人の方がはしゃいでいる。
 レオーネにしてみれば、物慣れぬサクラのためにしてくれたことなのだろう。
 そういえば、子供のころに父がこうやって回転木馬に乗せてくれた。
 あれはいつのことだったのか。
 滅多に会えなかったけど、それでも忙しい合間に遊んでもらった。
 修道院に入ってからも、手紙やカードをたくさんのプレゼントとお菓子が届けられる。
 本当はそんなことをしてはいけないのに、父は構わなかった。

 教皇庁からの知らせがあった時には、もしかしたら、父が迎えにきてくれるのではないかと思っていた。
 だが、来たのは父ではなかった
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