ただ、その声を聞くのは切なかった。
 アスタロトの手が、あたしの足の付け根に触れ、ゆっくりと撫で上げる
 固い指先が徐々に敏感な部分に近づき、すぐに離れる。
 いつもは遠慮もなく触ってくる胸にさえ、今は触れない。
 それでいて両足の間に身体を割り込ませて、閉じられないようにする。まるで潰された蛙みたいな恰好をさせておきながら、中途半端な刺激ばかりを与えるのだ。
 なんだ。これは……嫌がらせか?

「そなたの名を教えてくれぬか」
「い、や、よ!」
「……そなた、切って捨てるようなもの言いをする」
 のしかかりながら、情けない声で地獄の公爵が言う。
 今の声音だけを聞けば優位なのは、あたしのほうだ。
 でも、本当に後がないのは、どちらなのだろう。認めたくはないが、このままなし崩しに引きずられていくのだけは我慢ができない。
「当たり前だわ。名前なんて教えたら、今度はあんたがあたしを支配するんでしょ」
「すでに、わしのほうが支配されておるが……」
「それなら、あんたがなんで、あたしの上に乗っているのよ。降りなさいよ」
「先にわしを押し倒したのは、そなたであろうが」
「だったら、どいて!」
 だんだんと苛立ちが募ってくる。
 もやもやとした泣きたいような、悔しいような自分でも捕えどころのない気持ちにさせられた。
 喉に締めあげられるような息の詰まるような言いようもないやるせなさ。
 それが何に対してなのか。自分か。この悪魔に対してなのか。まるで判らない。

「そなたが言うなら、仕方あるまい」
 やけにあっさりとアスタロトは、あたしの上から降りた。
 どうして?
 どけと言っておきながら、男の重みがなくなったことにあたしはショックを受けた。
 それまで感じなかった空気の冷たさを感じて、自分が裸であったことにようやく気がつく。いつの間に脱がされたのかまったく覚えがない。
 いや。
 酔っぱらった勢いで、アスタロトを蚊帳の中に押し倒したあたりまでは、覚えている。おそらくは、そのまま眠ってしまったのか。
 服を探そうと起き上がりかえたが、膝をすくわれてまたしても、後ろに倒れ込んでしまった。
 これで二度目だ。布団と枕がなければ頭を強打している。そば殻の枕だから、ざりっと鈍い音がした。それにまったく痛くないわけではない。
 文句を言うより先に、両足が広げられ男の肩に乗せられていた。
 今の状況に脳の処理が追いつかない。
「な、な……なん!!!」
 信じがたいことに、ものすごい至近距離で股間を覗かれている。
 こいつ最低だ。
 手近にあった枕を投げつけてやったが、まったくダメージを受けた様子もなくいきなり中心部分に吸いついてきた。

「ひっ、ぁあっ!!」
 脳天まで貫かれるような刺激に、背中がのけぞった。
 唇で割り開くようにして、粘膜をこじあけられているのがはっきりと判る。
 ものすごい下品な水音をたてながらアスタロトは、あたしを貪った。
 ざらりとした舌の感触が、身体の奥深くまで侵入する。
 そうまでされて、ようやく自分が何に対してこれほど焦れていたのかが判った。

「主は、そなただけじゃ……いにしえのソロモンでさえ、わしを縛るものではなかったぞ」
 アスタロトの言葉、低い声、その暗い眼差しは、まるで媚薬のようにあたしの中に染み入ってくる。
 指先までが痺れるように、震えた。
 それは、確かに媚薬だったのかもしれない。
「……よ」
「どうした。やはり嫌と申すか」
 切羽詰った狂おしげなアスタロトの声が、もうたまらなかった。
 情に流されたのか、欲に溺れたのか。
 掠れた声であたしは、自分から名乗っていた。
 そう呼んだ時、下腹部に炎をねじ込まれたような感覚があった。
 火傷するかのような痛みと熱さがあって、体が跳ね上がる。

「ったい……裂ける!!」
「力を抜け」
「そっちこそ、抜けっての」。
 あたしは、涙目になって叫んだ。
「今すぐ抜け、即刻抜け、即座に抜け!!」
 夢心地の気分が、瞬時に現実に陥る。
「男でも、もう少しマシな声がでるものだがな……きつい」
 そう言いながらアスタロトは、さらに深く突き上げてくる。
「む、無理だって、ちょっ!」。
「無理ではない」
「うぎゃっつ!!」
「色気のない声を出すでない」
「なんでもいいから、一回休憩して、も、無理だから」
 あたしが泣きべそのまま言うと、アスタロトは眼を伏せる。
 長い睫毛に縁取られた瞼がゆっくりと下りていくのをあたしは、精巧な人形のようだと思った。
 常の不遜なほどにきつい眸が隠れ、まるでそれは自然が創りだしたもののように美しく儚い。
 乱暴なほどの挿入が止まり、あたしがため息をついた瞬間だった。
 まだ繋がったままで、敏感な部分をアスタロトが、軽く引っかいたのだ。
「はっ……く、ふぁっ!」。
 あたしの体が陸に上げられた魚のように跳ねるのを見て、アスタロトは涼しい顔でつぶやく。
「なるほど……そなたはここが弱いか」
 何を暢気に……。
 抗議の声を上げそうになるのを、さらにアスタロトは指先で包皮を広げ、剥きだしにした肉芽を擦る。
「や、止め……んっ……はぁっ…あ!!」。
「今度は、止めぬぞ」
 宣言と同時に、アスタロトは引き離しかけた腰を一気に押し付けて、これ以上はないほどに密着する。
 めりっと、音がしたような気がした。
 あまりにもこちらの身体の負担が大きい。悲鳴を上げかけるあたしの口をアスタロトが唇で塞ぎ、あやすように片手で胸に触れ、その先端をつまみ上げる。
 もう片方の手で、しとどに濡れてはじけそうになった突起の縁をなでた。まるで焦らすように……。
 しかし、それ以上にはアスタロトは動かなかった。
 おそらくあたしを気遣っているらしい。
 小刻みに震える身体に触れ、アスタロトは唇を咽喉に這わし、耳もとで囁く。
「羊子よ。わしは、そなたのものじゃ」

 初めて呼ばれた自分の名は、こんなにも美しいものだったろうか。
 それを口にする彼の声がたまらなく愛おしく感じたから……。
 アスタロトのかすれた声に、あたしは泣きたくなる。
 思いがけないほど優しく触れてくるその手に。
 まるで怯えるように触れる指先に……。悪魔のくせに、妙に優しい。
 ふいに、自分のものとも思えない声が出た。
 甘やかすような優しい愛撫が、やがて狂おしいほどの渇望に変わる。
 火傷しそうなほどの痛みは、全身を貫く歓喜となり、煽られ、翻弄され、あたしは快楽の底へ堕ちていく。
 冷たいその美貌とは裏腹なアスタロトの激しい情念にあたしは、眼が眩み身悶えして悪魔の手の中で踊った。
「わしだけを見てくれ……羊子」
 ゆっくりとした動作でアスタロトが動く。
 眼を開けると涙が零れた。
 痛みのせいでも快感のせいでもなく、アスタロトの淋しそうな暗い眼があまりに切なくて。あたしは、両手を伸ばしてアスタロトの長い髪ごと背中を抱きしめた。
「このアスタロトだけを愛すると……言ってくれぬか」
 汗に濡れた黒髪が腕にまといつき、広い背は固く張り詰めている。
 抱き起こされてあたしは、アスタロトの膝の上で激しく突き上げられた。
 呼吸さえもままならない中で、あたしはひたすらに呼び続ける。
 そうでなければ、体がどこかへ飛んでしまいそうに思えた。
 誓いの言葉は咽喉の奥で潰れ、やがて絶叫に変わっていった。
 天使と悪魔がいるならば、きっと美しいのは悪魔だ。
 そうでなければ、誰も悪魔に心を奪われたりなどしないはずだから……。

inserted by FC2 system