豊満な乳房をあらわにした姿で女は、嫣然と微笑む。
 長い黒髪に、褐色の肌。
 これ見よがしに露出した完全な球を描くようなふたつのふくらみ。その先端は濃い朱鷺色をしていた。
 巴旦杏の形をした目許にエキゾチックな雰囲気がある。夜目でもはっきりと判る金色の双眸。まるで猫の目だ。
 胸から胴までのラインは蜂のようにくびれて、それを忠実にかたどる鎧は、コルセットに似ている。
 中世のプレートアーマーというのか、身体のラインに沿った薄い金属板をつないだもののようだ。
 漆黒の鎧に、同じく黒い大蛇が鎌首をもたげている。
 息を呑むような美女。
 残念ながらただの露出狂ではない。これがあたしの悪魔だ。
 胸甲を外し黒衣の襟をくつろげて、つんと上を向いた形のよい胸を見せつける。
 自慢か? 自慢なのか。
 確かに彼女の胸は大きいだけではなく、形も色も見事だ。
 でも、乳輪は日本人のほうがもっと奇麗なピンク色をしている。……いや。そんなくだらないことで張り合っている場合ではなかった。
 そもそも単なる自慢で、わざわざバストを露出する必要はないのだ。
 相手は悪魔だから人間の常識は、通用しない。
 頭を抱えそうになるあたしの両手首をしっかりと捕まえ彼女は、いきなり自らの豊満な胸に押しつける。

「うわっ!」
 張りつめたような肉の冷たい感触。
 なぜか触ったほうがたじろいでしまう。
 たちまち掌の下で、粒だった乳首が硬くそそり立つ。
 ぎょっとして手を引っ込めようとするが、相手がこちらの腕を放さない。

「どうじゃ?」
 半裸の女は、こちらを見据えてきた。
 猫を思わせるようなつり上がり気味の目が、やや寄りぎみになっている。
 漆黒の髪に縁取られた美貌があまりに真剣で、あたしはなぜだか後ろめたいような妙に追いつめられた気分になってきた。

 ――どうすればいいんだ。揉めってことか?

 当たり前だがあたしは、他人の胸など揉んだことがなかった。
 触ったことぐらいならあっても、普通は女同士で胸を弄ることなどありえないだろう。
 なんというのだろうか。ちょっとした好奇心が湧き上がる。
 温泉地などで見る気合いのない女の裸体などとは、くらべものにもならない。
 どんなグラビアアイドルでも、こんなに完璧な形のバストはないだろう。
 美乳という言葉があったら、まさにそれだ。見事な二つの球体。
 西洋の悪魔というのは、その外見も西洋人そのものだった。
 ……少し揉んでみたい気もする。
 いや、ダメだ。そんなことをしたらこいつの思う壷だ。
 まんまと敵の術中に陥るようなもの。

「かまわぬぞ。遠慮はいらぬ。揉め」
 そう言ってなおもぐいぐいと自分の胸にあたしの手を押しつける。
 筋肉質なくせに柔らかい。柔らかいが張りがある。うどんじゃないが腰があるとでもいうのか。
 朱鷺色の小さな尖りは、手の下でいっそう固くコリコリにしこっている。
 もし、あたしにそっち方面の性癖があれば、相手が悪魔であろうとむしゃぶりついているかもしれない。
 そんなことを考えて、無気力な笑いがこみあげてきた。
 馬鹿だ……。



「いや。もうけっこう。十分堪能したから放して」
「では、わしがそなたに触ってもよいか」
「いいわけないでしょ!」
「なぜじゃ」
 小首を傾げながら、不思議そうに悪魔は言う。
 大人の美しい女が、こんな子供じみた表情をするものは、妙なギャップがあって可愛い。
 エロ目的の下着みたいな甲冑を着ているくせに、どこか童女のような純情そうな顔を見せる。
 女神か天使を思わせるような……いや、妖しいほどの美しさはやはり魔性か。
 完璧すぎる造作は、可愛いという言葉には合わない。
 ほっそりとした身体を包む漆黒の甲冑が、むき出しにされた豊満な乳房とくびれた細腰をいっそう強調する。
 憎たらしいが美しいものは、やはり美しかった。
 まるで芸術品のような顔と身体に、見惚れてしまう。(性格はともかくとして)
 あたしが手を振りほどくと、待ちかねたように蛇が彼女の乳房にまつわりついた。
 艶々と黒光りする蛇の鱗が褐色の肌によく映えて、いっそう彼女の妖しい美しさを引き立てる。
 蛇に縊りだされた乳房は、ひどく艶めかしく淫靡だ。
 それでも悪魔は平然としている。
 見ているこっちのほうが恥ずかしい。

 だが、それでもまだ髻のほどけた血まみれの落ち武者や、白い着物のざんばら髪の幽霊でなくて、まだよかったのかもしれない。
 霊だとか、その手のものを見る体質ではないが、こんな古い家だと何かしら気配のようなものを感じることはある。それに比べたら、まだ悪魔や蛇のほうがましかもしれない。
 ホラー映画も、外国のものより和製のほうが怖いと感じるのと同じ理屈なのか。
 爬虫類は今でも苦手だが、すぐ鼻先近くまで蛇がいることが当たり前のようになっていた。

「自分の胸、触っときなさいよ。こんなに立派なんだから!!」
「そなたのがよい。この手の中にすっぽりおさまる。まことによい塩梅ゆえ」
 悪魔でも、“塩梅”なんて言葉を使うんだ。……と妙なところで感心しながらも胸のことを言われたのは、ちょっと気にさわる。
 確かにあたしの胸は小さい。
「悪かったわね!」
 むっとして、睨みつけてやると目の前の美女は、こめかみを押さえながら柳眉を顰める。
 人間臭いしぐさは、もとから身についたものか。あるいは、わざとこちらを挑発しているのか。
「判らぬ。触ったほうがよかろう?」
 どうやら、真剣に言っているらしい。
 彼女とはまだ短い付き合いでしかないのだが、悪魔に人間の理屈は通らないのは知っている。もしかしたら単に彼女が天然なだけなのかもしれないが。

「どこで、触ったほうがいいって発想になるのよ」
「揉めば大きくなるゆえな」
 そう言いながら、今度はダイレクトにあたしの胸の先端をつまんだ。
 服の上からなんで、そこが判るのか。払いのけようとした手をすばやくつかみあげられる。
「悪かったわね。どうせ、あたしのは小さいわよっ!」
「わしはそうは思わんが、そなたが気にしているようであったからな」
 図星を指されるとはこのことか。
 下着の発達のおかげで必死に寄せてあげてなんとか、胸としての形を保ってはいるが、目の前の爆乳を見るとやはり貧相だと感じる。
 まして今はノーブラだ。完全武装したテロリストを前に、丸腰で戦えと言われているような気がした。
「そういうことは、恋人にしてもらうもんなのよ」
「恋人?」
 不思議そうに公爵は、あたしの言葉を繰り返した。
 女にしては低すぎる声だ。
 だが、よく通る。まるで岩清水のように冷たく染み入るような声音だった。
「好きな人ってことよ」
「それは、わしのことであろうが」
 ぬめぬめとした爬虫類のような目で、あたしより頭ひとつ分高い位置から斜めに見下ろす。
 その目つきが彼女の美貌とあいまって、同性でありながら、ぞくりとするほどの色香があった。
 こちらは服を着ているはずなのに、まるで裸を見られているような気分だ。
 慌てて首を振った。
「違うわよっ!!」
「あれやこれやと、そなたはうるさい」
 ようやく飽きたのか。公爵はあたしの手を放して、面白くなさそうに肩にまつわる黒髪を後ろに払った。
 髪の先が鼻先をかすめると、ほのかにミルラの香りがただよう。
 甘くて、ほんのり苦い香り。
 その香りを嗅いでいるうちに、なんだか鼻がむずむずしてきた。

「へぷっし!」
「どうした、風邪か」
 公爵が真剣にこちらの様子を伺っている。
 雑な扱いをするわりに、彼女はいつもわたしを気遣っている。
 ぐずっと洟を啜り上げると、闇に溶け込んでしまいそうな黒髪が揺れて近づく。
 日差しが苦手なわりに浅黒い手が伸びて、わたしの額に触れる。
「熱はなさそうじゃな」
「あるわけないでしょ?」
 ぱしっと手を払いのけるとやつは、ひどく傷つけられたような表情をする。
 見上げるような長身なのに、ちょっと冷たい態度をとると、こんな顔をするのだから笑ってしまう。
 それは、この悪魔があたしの前だけで見せる顔だ。

 なぜだろう。
 この美しい悪魔の前であたしは、恐れるより前に笑いがこみあげてくる。
 とはいえ、魔界の大公爵という称号は伊達ではないらしい。
 初めて地獄を見たとき、あたしはその苛烈さに震え上がったものだ。
 この悪魔と出逢ったときも、これは夢を見ているのではないかと思った。
 獰猛な獣のようでいて優雅で、これが悪魔というものなのだろうか。
 現実離れして、憎ったらしいほど圧倒的に奇麗だった。
 その悪魔があたしを“主”だと言う。
“主”とは何のことだろうか。判らないまま、彼女はあたしのそばにいる。
 いつの間にか、それは当たり前のことのようになっていた。

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