「……痛いってば」
 べそをかきながら答えると、織部くんはわたしの脇の下に手を差し入れて、子供を抱き上げるみたいに軽々と持ち上げた。
 そのまま膝の上に乗せようとするので、あわててわたしは抵抗した。
「やっ、やらっ!!」
「おとなしくしてろ。痛くしないから」
 そっと膝の上に降ろされるのを、我慢して耐える。お尻は、熱をもってじんじんしている。
「ほら、洟かめ」
 手近にあったティッシュをぐりぐりと、わたしの顔に押しつけてくる。
 洟をかめと言われて、どうしろというのか。
 自分でするのなら、ともかく……どうして、そんな世話までしようというのか。
 好きな男の子の前で音をたててかめるものではない。かといって、すすっているのもみっともなかった。
 ためらっていると鼻も目もごっちゃに拭かれる。
 鼻がもげるかと思ったが、すっきりしたせいもあってわたしは、ようやく落ち着きを取り戻した。


「俺も痛かったんだぞ。お前の名前があの店にあったのを見て」
「え、名前って?」
「予約していただろう」
「し、してないよ!」
 やっきになって答えると、織部くんはわたしの顔をじっと凝視した。
「………………本当か」
 なんだ。その間は?
 信用されていないのか。
「本当だって、あの店行くのも初めてだったし」
「それなら、なぜ、お前の名前が」
「たぶん、伊万里だと思う。友達がわたしの名前使ったのかも……そ、それにわたし、あんなお店なんか行かなくても、織部くんが」
 言いかけて、ちょっと織部くんの様子をうかがう。



「その……織部くんがいいの」
 何、言っちゃってるんでしょうか。わたし……。
 恥ずかしすぎます。
 そう思うけど、やっぱり誤解されているのはつらいから、ちゃんと伝えるべきことは言わなきゃ。
 と思って、がんばってみたけどダメなのか。
 何も答えてくれないし、表情も変わらない。
 本物のシャチでさえ、もうちょっと愛嬌があったはずだ。

「う、嘘じゃないよ。だって、もうこれ以上お尻叩かれたら椅子に座れなくなっちゃうから、もう嘘なんて……言い、ませ……ん」
 だめだ。正直に話しているのに、語尾がちいさくなっていく。
 なんで、こっちのほうが年上なのに敬語になってしまうんだ。相手は高校生だぞ。
 情けない。
 身についた奴隷根性なのか。
 って、違う。違うぞ。決してわたしは、調教なんてされてない。
 そっちの世界には、まったく全然、皆目、一切、これっぽっちも興味ないんだって。

「そんなに痛かったのか」
 俯きかけたわたしの顎をつまんで織部くんは上を向かせる。
 なんだか、これって恥ずかしいな。
 泣いちゃったから、お化粧もはげちょろになってるのに。
「い、痛かったよ」
「悪かったな。だが弟にするよりは手加減しておいたんだが」
 ちょっと笑いを含んだ声で、織部くんが答えた。
 あれ。もしかしてご機嫌が治ったのかな。
 弟って部分に、ちょっとひっかかったけど。
 嬉しくなって、わたしもつられて、へにゃっと笑ってしまった。
 たぶん、ものすごくしまりのない情けない顔になっていると思う。泣いたあとだし、化粧は落ちてるし。
 彼の前でこんな馬鹿面を見せてしまうのは恥ずかしいんだけど、だけど、やっぱり織部くんが笑うと、わたしも嬉しいから。

「わ、わたしね。織部くんしか見えないの。でも、織部くんは……わたし以外の、人から見ても……ステキなんだけ……ど」
「馬鹿が」
 彼はわたしの頭をぽんぽんと撫でてくれた。
 それだけで、わたしは骨をもらった犬みたいに尻尾を振ってしまう。
 もう、ヒート中の犬でもペンギンでも、シロクマでも、クマムシでも、プランクトンでもいいや。
 織部くんが喜んでくれたら、なんだってできる。

 織部くんのためなら、SでもМでもなんでもこいだよ。
 だけど、やっぱりぶたれるのはダメっぽい。
 さっきだって、本当に痛かったんだもの。
 仕方ない。女王さまならイケるかも。
 ……って、その場合は、わたしが織部くんに鞭でビシバシしたりするの?
 ロープで縛って、首輪つけたりするわけ?
 いや、いやいやいや、いや。やっぱりそっちも無理です。
 織部くんは、わたしにとって王子さまです。殿下です。ご主人さま……。あ、それはアレか。またそっち系の……。

「何、考えている」
 織部くんが顔を近づけてきた。
 なんだか、考えていることを見透かされているようで、恥ずかしくなってきた。
「なんでも……んっ」
 言い訳する暇も与えられずに、いきなりキスされた。
 びっくりして、目を見開いたままくちづけされていると、身体の奥が痺れたようになって動けなくなってしまう。
 いつもこの人は突然過ぎる。
 でも、強引なところも好き。
 すごく好き……好きすぎて、泣けてしまう。我慢しようと思うけど、どうして涙は止まらないんだろう。
 ……もう、なんでもいい。

 温かい舌がわたしの舌を探すように、口の中でうねって絡みつく。
 すべてを奪われてしまうようなキス。
 身も心も溶けてなくなってしまいそう。
 彼の触れている部分だけが熱くって、他のことは何も考えられない。

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