「女子寮に男が入るのは、まずいだろうが、その反対は問題ない」
 織部くんは、やけ断定的に言い切るので、つい、そうなのかな……と惑わされてしまう。
 完全に脳内調教されている。ヤバい。しっかりしろ。
 それは、あり得ない。絶対にない。
 冷静になろうとする気持ちとは裏腹に、助手席から見る彼の横顔に見惚れてしまう。……馬鹿過ぎる。
 恐慌状態のまま、わたしは早口でまくし立てた。
「いや、あるから、普通にそれもまずいから、犯罪だから、青少年健全育成保護条例違反だから、地方裁判所で有罪だから!!!」
「それは、俺の強姦罪じゃないのか」
 とんでもないことを言い出した。真顔で言うことなのか? いや、織部くんは冗談を言わない。

「……織部くんは、そんなこと絶対にしないよ」
「お前は馬鹿か。あの夜に何をされたのか、忘れたのか」
 また馬鹿って言われた。だけど、すでに自覚している。
「だって、あれはわたしが“いい”って言ったからでしょ」
「それなら今度も“いい”と言え。黙っていれば判らん。学校に必要のないことを申告することはない」
 カトリック系の学校の生徒が言うことなのだろうか。
「だって、イエス様やマリア様が」
「神は寛大だ」
 厳かに織部くんは答える。
 いや、そうじゃないでしょ。違うでしょ。キリスト教ってもっと禁欲的な……と言いかけて、それでは自分がいかにも邪なことを考えているようで止めた。
「寮長先生に叱られるよ」
「寮長は俺だ」
 思わず彼の一言にわたしは、シートからずり落ちそうになった。

「なんで!?」
「そういう決まりだ。別におかしなことでもないだろう」
「だって、囚人に看守をさせるようなもんじゃないの」
「どういう意味だ。監獄じゃないぞ。寮内での飲酒喫煙は禁止されているが」
「いや、それ寮じゃなくても禁止だから」
「そうだったかな」
「未成年のくせに、何、しれっと危ないこと言っちゃってるのよ」
「お前がくだらないことを言ってる間についたぞ」
「なんですと?」
 声が裏返った。





 大きな練鉄の門扉がある。リモコンで操作できるらしい。
 正門ではなく、駐車場側の出入り口なのだろう。
 すでに、外は薄暗くなり始めている。
 夕ご飯まだだったな……と、こんなときなのに、そんなことを考えてしまう。だって、織部くんの前でお腹が鳴ったら恥ずかしいし。
 今さらだけど、帰りたい気分になってきた。
「降りろ」
 そう言って、織部くんはわたしのシートベルトを外す。
 いつものしぐさだ。これは運転席にわたしがいてもしてくれるんだけど、今回ばかりは嬉しくない。このまま逃げ出したかった。
 男子校だよ。それも寮って……。

 マニアックなことが好きな伊万里なら、泣いて喜びそうだ。
 だが、残念ながら、このカトリック系の男子校で彼女が想像するような男の子同士の耽美的な空間はないと思われる。
 それにキリスト教では、同性愛って禁止されているわけでしょ。いろいろ難しい問題だとは思うんだけど。

 うっそうとした木々が生い茂っていて大きな黒い建物が見えるだけで、その外観は車の中からは、よく見えない。
 カラスなのか大きな黒い鳥が飛んでいく様子は、耽美的よりオカルトだ。
 前に来たときは、知り合いの司書教諭がいたわけだし、ちゃんと守衛さんに挨拶もしたし、手続きも踏んでいた。
 こんなこっそりと裏口から入り込むなんて、ヤバいんじゃないですか。



「早くしろ。俺もこの格好だから目立つんだ」
 わたし側のドアを開けながら、織部くんが覗き込んできた。なにせ執事喫茶からきたわけだから、執事の衣装もそのままなのだ。
 でも、……似合ってるけど。
 あの執事喫茶で見たような偽物ばかりを並べた舞台の書割りのようなお屋敷の中で、彼だけが本物だった。
 声の低さや、言葉のひとつひとつ。
 明るい髪の色や、彫の深い顔立ち。さりげない立ち居振る舞いが、他の人とは違う。
 決して、その場に溶け込んだりできない。
 彼は、特別な人だから……。



 いやいや、そんな場合じゃないから、織部くんの執事っぷりに萌えてる場合じゃないから。
「わたしを連れて行ったらよけいに目立つよ」
「だから、目立つ前に行くんだ」
「いや、そうじゃなくて……止めようよ」
 このまま、寮内に入り込む事態だけは避けたい。バレたら本当に警察に通報される。
 わたしは、必死にいい訳を考えた。
 普段、使わない脳細胞をフル回転させる。
「お、お父さん……早く帰ってくるし」
「嘘をつけ。今日は碁会があるって言ってたぞ」
 そうだ。織部くんとお父さんは囲碁仲間だった。
「あ、お、お父さんじゃなくて、お母さんが早く帰れって言ってたんだ。お父さんいないから、無用心だし」
「俺から電話しておいてやる。帰りは送ってやるから大丈夫だ」
 おおぉう、忘れてた。織部くんは、お母さんのことも懐柔してたんだった。
 お気に入りの俳優に似てるからって、お母さんは彼が来ると年甲斐もなく妙に張り切るんだ。
 織部くんからの電話なら、ホイホイ言うことをきくに決まっている。
 ヤバイぞ。どんどん深みにはまっている。


「あ、あの……伊万里。さっきの店に置いてきちゃったし、戻らなきゃ」
「お前の友達か。手を振っていたぞ。気がつかなかったのか」
 そんなこと知らない。
 でも、伊万里ならそうだろうな……とも思う。
「駅前の店だ。優衣じゃあるまいし、道に迷うこともないだろう。後で電話しておけ」
 確かにそうなんだけど……伊万里は、わたしほど方向音痴じゃないし、そもそも伊万里の行きつけのお店だし。
 それでもあきらめきれない。なんとかうまい言い逃れを考えないとまずい。
 いい歳した大人の女が、男子寮に潜り込むだなんてそんなの恥ずかしすぎる。
 青少年保護育成条例で訴えられたら、社会的に抹殺されるのは間違いない。

「だって、わたし“行く”とは言ってないよ」
 そうよ。織部くんは、わたしが“いい”と言わなきゃいけないんでしょ?
 ここは、きっちりさせておくべきだ。
「俺が、お前を連れて行きたいんだ」
 近々と見据えられて、ひくんと息を呑んだ。
「お前は嫌なのか」
 いつもは、冷たい印象のある眸に熱い光がともる。
 あんまり睨まないでほしい……。彼の切れ上がったきつい目がこちらに向けられると、わたしの心の底の底まで見透かされて、織部くんの言いなりになってしまいそう。
「そ、そんな言い方……ずるいよ」
 あわててうつむいて、織部くんの視線から逃げた。



「ぐずぐず言うな」
「うぎゃっ!」
 我ながら、色気のない馬鹿みたいな声が出た。
 織部くんがわたしの胸を両手で、がっしりとわしづかみにしたのだ。
「さっさと、降りてこないと直に揉むぞ」
「痛い、痛い」
 わしわしと、力任せに揉むものだから本気で痛い。
 男の人には判らないこの痛さ。根っこのあたりから千切れたらどうしてくれるんだ。
「判った。判りました。だから、止めて」
「よし。では、さっさと降りてこい。言うことをきかんと」
 そう言いながら、織部くんは執事用の白い手袋をつけた右手の指をわきわきと動かして見せた。
 何、その手つき……。
 さっき直に揉むとかって、信じられないこと言ったよね。
 この人なら本気で、やっちゃいそうで怖いよ。
 もうこれ以上の抵抗は無駄というより、かえって危険なことになりそうなので、おとなしく従うことにした。
 屠殺場に引き立てられる牛の気分で、わたしは車を降りたのだった。……まさにドナドナ……。

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