quiet talk




 織部とは、寝小便をしていたころからの付き合いだ。
 どこか浮世離れしたやつで、俺が“リョウちゃん”と名前を呼ぶのに対して、“備前”と苗字で呼びやがった。
 頭にきたので、俺も“オリベ”と、苗字を呼び捨てにしてやった。
 その呼び方は、未だに続いている。

 幼稚園受験から始まり、初等部、中等部、高等部と、顔をつきあわせてきたから、家族構成から、ホクロの数まで、お互いによく知っている。
 こういうとヤバい関係のようだが、俺たちのことをそんな目で見る奴も多い。
 織部の目立つ外見のせいもある。だが、織部というやつは、女といわず、人間そのものに興味がない。
 あるいは、情緒とかそんなもの一切が欠落しているのかもしれなかった。
 喜怒哀楽というものが、まるで感じられないせいか、織部の考えていることはさっぱり判らないことだらけだ。
 俺にとって織部の存在は、もはや“数学上の未解決問題”のようなものだ。





 大きな柱時計の影から、俺は信じられない光景を見ていた。
 ごっつすぎる執事が、いきなり小柄な女を抱き上げてキスしている。
 男のやりかたがあまりに強引だったので、すぐに止めに入ろうかとしたが、女に嫌がっている素振りがない。
 だが、時給1500円完全出来高制の執事のサービスにしてはやりすぎだ。
 どちらにしても止めるべきか。とりあえず、店でいちばんガタイのでかくて腕力のある織部を探そうとして気がついた。
 ……あれ、本当に織部じゃね?

 伊達眼鏡を外して、もう一度、目の前の男女のやりとりを見る。
 マジか? 嘘だろう。
 茶髪はいまどき珍しくもないが、あいつは地毛だ。それにあの肩幅。
 もしかしたら、あの女のほう……前に学校に来たことあった子だ。
 男ばかりの環境だから、女が来たと言えば、婆でもデブスでも生物学上“女”なら話題にもなる。
 ましてや、オタク男好みのおとなしそうな癒し系。(男子校ではオタクが多い。そしてガチホモはいない)
 オオカミの群れに離されたウサギみたいに、ビビりまくっていた。
 あの子に最初に声をかけたのが織部だ。
 他人との接触を極度に嫌うあいつが、見知らぬ女に声をかけたから余計に印象に残ってる。
 いつの間に付き合っていたんだ。

 いや。それよりも、あの織部が他人と口を合わせてる。
 異常な潔癖症で、唾液は尿より雑菌が多いだのほざいていた男が。
 年齢=彼女いない歴のあいつが。
 絶対にあいつは、童貞こじらせると思っていたのに!!!
 俺は自分の目で見たモノしか信じない主義だが、今度ばかりは自分の目を疑った。



「このまま羞恥プレイに走りそうな勢いねぇ」
 化粧室へと案内したはずの客が、柱時計の影から恋人同士のやり取りを覗きながら言う。
「すでに、そっちの方向にいっちゃってるみたいだけど」
 客は、心底楽しそうににんまりと笑った。
 まるでチェシャ猫だ。
 確かこの客は、あの織部の相手といっしょの席にいた女じゃないのか。美人だが、なんだかこうねっとりしたものの言い方をする。
「お嬢様は……あちらのお嬢様のお友達ですか?」
「お友達なんてもんじゃないわ。親友と言ってちょうだい」
 薄いカーテンごしとはいえ、執事が客の女性と周囲もはばからぬ抱擁と熱烈なキス。
 離れて見ていても、それが挨拶代わりのハグだの軽いキスで済んでいないのが判る。
 衆人環視の中で何度も繰り返される熱烈なくちづけ。
 夢見がちな少女たちや、貴腐人を自称する妙齢の女性たちでさえ、ドン引きしている。
 そりゃそうだ。
 唾液の混じりあう音さえ聞こえてきそうだ。あのおとなしそうな子も、織部にちゃんと応えているらしいのが……マジ引くわ……。

 それでも、初めのうちは誰もが黙って見ているだけだった。やがて、ざわめきが少しずつ広がっていく。
 そろそろヤバい……と思ったころ、ほとんど悲鳴に近い声をあげる者まで現れた。おそらく織部のファンだ。一人や二人ではない。
 ここが歌舞伎町なら、指名ナンバーワンだ。

 二ヶ月の研修を終えたばかりの執事は、芝居がかったしぐさで深々と頭を下げた。
 どんなことでも器用にこなすのは、やはり織部だ。ただのバイトにしてはカンペキな執事っぷり。
 まるで舞台の上で役者がカーテンコールに応えているようだった。
 お辞儀をした後、執事はくだんの女性客を抱き上げた。
 その場にいた客たちがどよめく。まさに千秋楽の舞台だ。
 やつのファンではない客でさえ、黄色い声をあげている。
 だが、ここで客を腕に抱き上げたままであれば、いわゆる“お姫さまだっこ”という少女の憧れのスタイルになるところであるが、やつはそうはしなかった。
 まるで俵を持つようにして肩に抱き上げて、大股にテーブルの間をすり抜けて行ったのだ。

「ちょっと、あれってほとんど誘拐みたいになってきましたよ」
 さすがに、あせった。
 助けを求めるつもりで目の前のお嬢様を見たが、親友の危機にも慌てるふうも見せない。
「まあ、いやなら優衣も本気で暴れるだろうし、平気よ。それよりどこに行くつもりかしら」
「さっき、先輩から車を借りてたみたいですけど、本当に警察沙汰にはならないでしょうね」
「何よ。気が小さいのね」
「いや、学校にばれると、いろいろヤバイんです。うちってカトリック系の学校だし」
「カトリックじゃなくても、誘拐はまずいわよね」

 今ごろになってハウス・スチュワード(執事より上の立場の家令。要するにうちの店長だ)が、走り寄っていく。
 何事か言っているようだが、織部はそれを気にする様子もなく、あっさり無視した。
 いきなりクビか?
 もっともあいつは、金のためにこの仕事を始めたわけじゃない。だが、紹介したこっちの身になってくれ。
 校則でバイトは禁止になっている。
 寮長は、あいつだから外出届ならどうとでもなるのだが、それでもあのコミュ障がこのバイトを選んだのは女の扱いを学ぶためだ。
 彼らの通った後には客の声援なのか、苦情なのか、甲高い声が響き渡っていた。
 静かなお屋敷という舞台がざわめき始めるのを、年かさの執事やフットマンたちが各テーブルへ弁明に奔走していた。



「貴方は行かなくていいの?」
 お嬢様が尋ねた。
 柱時計そのものが、店内の奥まった場所にあるので、裏に隠れてしまえば、向こうからこちらが見えないようになっている。
 織部の彼女が、やつの肩の上からこのお嬢様を探している。当のお嬢様は、にこやかに手を振ってやっていた。おそらく向こうからは、見えてはいないだろうが。
「なんで俺が、織部の尻ぬぐいをしなきゃならないんですか」
 ふたりが店の裏口から出ていくのを俺は傍観を決め込んだ。
 止めても言うことを聞くはずがない。
 やつのおかげで、俺もクビだろう。
 そう考えたら、客へのフォローもバカバカしくなってきた。
 時給1500円完全出来高制の執事のバイトに織部を誘ったことを俺は、死ぬほど後悔していた。
 もともとあいつは、金には困っていない。
 中学生のころには株が中心だったが、今は外国債などの債券やファンドをやっている。どれほどの儲けがあるのかは、謎だが起業する気はなさそうだ。
 何せとんでもないコミュ障だから、人との信頼関係を結ぶのに時間がかかる。そんな奴に起業は向いていない。


「ここの店員でしょ?」
「そうですよ。だから、お嬢様のおそばにいるわけですよ」
「あら」
 俺は首をすくめて見せた。
「もし、お嬢様のお許しが頂ければ、この俺が浚っていきますよ」
 お嬢様はふふっと声を出して笑った。あのチェシャ猫みたいな笑い方よりずっといい。
「御免こうむるわ。荷物みたいに運ばれるのはいやだもの。それより」
 そう言ってお嬢様は、ふたりの出て行った先を指さした。
「どうするんですか」
「追いかけるに決まってるでしょ。あなた、車は持ってるのかしら」
「持ってるわけないでしょう。俺、高校生なんですよ」
「まあ、使えないわね」
 腕を組んで、お嬢様は下唇を突き出して見せる。
「でも、行き先の見当ぐらいは、ついているわよね」
「まあね。でもお連れさせていただくんなら、お嬢様の名前ぐらい教えてよ」
「知りたければ、まず車を用意することね」





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