結局、わたしは伊万里に押しきられて……というより、重いという言葉に負けた。
 執事喫茶も一時のブームは過ぎて、今は前日のネット予約でも間に合うらしい。
 設定は“お屋敷”いうことだが、現実にはコンビニも入っている雑居ビルの地下のテナントだった。
 入るのがためらわれるような過剰な看板や飾り付けはなさそう。
 地下への階段を降りると、壁に煉瓦を貼った喫茶店があった。
 床には赤い絨毯が敷かれている。

「お帰りなさいませ。お嬢様」
 お約束の言葉で出迎えられ(伊万里によると、マダムかお嬢様のどちらか、予約時に選択できるらしい)本日の担当執事とかいう男の子が挨拶をする。
 執事と呼ぶには、ずいぶん若すぎるような気もする。
 まだ十代半ばほど……高校生ぐらいかな。
 ちょっと長めの襟足。黒縁眼鏡の奥の大きな眼が印象的。織部くんとは真逆のタイプだ。線の細い今どきの男の子って感じ。

 内装は落ち着いたイギリス風でレースのカーテンや、マホガニーのテーブルと椅子。
 白い暖炉の上には金の時計と燭台が置かれ、薔薇が飾られている。
 壁にかけられているのは有名絵画の複製らしい。
 見事に少女好みなんだけど、なんとなくどれもこれもニセモノくさく感じてしまうのは、夢を見すぎていたわたしが悪いのか。

 白いカーテンを引いた個室に案内される。店内はそう広いわけではないので、個室といっても、カーテンで仕切っているだけにすぎない。
 さきほど挨拶した担当の男の子が椅子を引き、膝の上にナプキンをかけてくれる。
 流れるような一連の動作に、やっぱり執事なんだ……と軽く感動した。
 でも、所作の美しさは、織部くんには敵わない。たとえホンモノの執事でもそうだと思う。
 食事をするときの箸使いや、お父さんと碁を打つあのそらせた指。
 まるで日本舞踊をしている人みたいに姿勢がよくって、育ちのよさって、そんなところにも出るんだな……と感心してしまう。
 執事より、どちらかと言えば王子様タイプかもしれない。
 あ、今は織部くんのことを考えないようにするはずだったのに。



 メニューは、紅茶以外にワインなどのお酒もあればソフトドリンクもある。
 ケーキや軽食だけではなく、ちゃんとした食事もできるらしいが、値段はちょっとお高め。執事のサービス料も込みなのか。
 なるほど……。話のネタにはなるかも。
 さすがに伊万里は、通いなれているらしく優雅にベルを鳴らして店員を呼ぶ。

 好みのケーキを選んだあとで「お茶は貴方のお勧めのものにするわ」なんて、お嬢様になりきっている。
 笑うのを我慢したら、ますますおかしくなってきた。肩を震わせるわたしに、伊万里がわざとらしくお嬢様言葉で話しかけてくる。
 本当にくだらない冗談。
 最近読んだ本とか、流行のスイーツ。新しい雑貨屋さんのこと。職場のグチとか。先週、観たドラマの内容。
 仕事場じゃできない、男の人には聞かせられない話(執事喫茶に来たのに、あんまり意味がないのかも)
 気の置けない友達とお茶をしたり、女の子同士のたわいないおしゃべりをしたりするこんな時間が本当に楽しい。

 でも、それだけじゃ足りない。
 昔は楽しかったことが、今はそうではなくなってしまった。
 織部くんと逢えない時間が長すぎる。
 欲しいものがあるのに、欲しいと言えない子供みたい。
 もっと一緒にいたいけど、彼は学生で本分は勉強なのだ。だから、わたしはちゃんと待っていないといけない。
 わたしのほうがずっと、彼より大人なんだから。
 見た目だけじゃない。中身もそう。
 ごめんね。織部くん。
 わたしは、こんなにチビで、馬鹿で、あなたとはちっともつり合いが取れない。



 ふいに、きゅっと胸が詰まってきた。
 彼に逢えないせいで、織部くん欠乏症になってるのかもしれない。
 高山に登った人が、酸素が足りなくなるみたいなそんな感じ。
 どうしよう。これじゃ恋愛依存症だ。
 ダメダメ。本当に重い女になっちゃうよ。
 ついつい考え込みすぎて、伊万里が覗きこんできたのに気がつかなかった。

「ねえ、優衣……もし、あんたにこれだって思えるものがあるなら、人の眼ばかり気にしてちゃ損だと思うのよ」
 いきなり伊万里が核心をついてくるので、あたしは少し冷めた紅茶をふきだしそうになる。
「だって……伊万里ってば、さんざん重いとかなんとか言ってたじゃない!」
「考え込むなってことよ。一人で悩んでいたって始まらないじゃない」
「…………」
 始まるも終わるもない。
 あの夜から織部くんは忙しくって、逢えないのだ。
 もしかしたら、わたしがあんなこと言っちゃったから……呆れられちゃったのかもしれない。
 夜道でキスされて、それ以上のことされて、でも、嫌がるどころかもっと……なんて、淫獣はわたしのほうだ。
 だから、彼はわたしを避けているのかもしれない。
 本当は彼を抑える立場にいなきゃいけないはずだ。それなのに、わたしは。

「ほら、また苦悩してる。明日も今日と同じことで悩むくらいなら、今すぐ行動するべきだと思うわ」
 手を伸ばして、伊万里はわたしの眉間をこすった。
「ここ、皺が寄ってる」
「……悪かったわね。どうせ、歳だもん」
「好きなものは好きって、言わなきゃ。こっそり想っていたって気持ちは通じないわよ?」
「それじゃ、伊万里は言うの?」
「当然。人生は短いのよ」
 そう言って伊万里は、テーブルの上のベルを取り上げて鳴らした。

 驚くわたしをよそに、すぐに執事だがフットマンだかが現れて、膝を折って用件を訊く。
 ホストみたいにちゃらちゃらした雰囲気はなくて、真面目な感じ。織部くんの学校にもいてそう。
 執事のイメージがそんなものだからだろうか。
 韓流スターにいそうな清潔で、ほっそりとしたタイプが多いみたい。
 ただ、顔立ちはごく平凡。どこかですれ違っても思い出せないと思う。
 いつも織部くんみたいな奇麗な男の子を見ているからかもしれないけど。

「化粧室へ案内してちょうだい」
 つんと澄ました調子で、伊万里が言った。
 それを隣で訊いたわたしは、テーブルに頭をぶつけそうになる。
 何が“想っていても通じない”だ。
 彼女の想いってのは、トイレのことか。

 もう、馬鹿馬鹿しくてそのまま、テーブルにつっぷしていると、また別の店員が声をかけてきた。
「どうかなさいましたか。お嬢様」
「あ、いや……別に大丈夫です。ごめんなさい」
 あせって頭を起して、わけもなく謝ってしまう。
 気分が悪いのだと勘違いされたかも。
「何かご用はございませんか?」
 低いややかすれた声は、誰かを思い出さずにはいられない。
 ここの店員は、まるで声優のような甘い声で、静かに話しかける。
 だから、こんなに執事喫茶は流行しているのか。
 そうなんだろうな。でも、この声って織部くんに似ている。
 低音で、ゆっくりとした口調とか。
 織部くんの話かたって、なんか古臭いのよね。文語的というか……お祖父さんの影響かしら。
 でも、あの落ち着いた声にはすごく似合ってる。

「別に、ないです」
 なんとなく恥ずかしくって、うつむいたままそっけない返事をする。
 早くどこかへ行って欲しいと思うのに、店員はなぜか、わたしのテーブルから離れようとはしない。
 とにかく、この執事喫茶というモノに、わたしはなれないのだ。
 ある意味、伊万里のようにその世界を楽しんでしまえるのは、ちょっと羨ましいかもしれない。
「お嬢様にお仕えするのが、わたくしの歓びでございます。どうぞ、なんなりとお申しつけ下さいませ」
 この執事はちょっとうるさい。
 さっきの担当執事は、伊万里をトイレに案内しているのだろうが、わざわざ別の執事が出てくる必要があるのか。
 ハスキーな声が織部くんを思い出させるから、辛いのだ。
 もういいから、放っておいてくれないか。
 いや、たしか店員とおしゃべりするのは別料金が発生したのではなかったか。
 メニューにあったような気がする。
 ゲームをするといくら、談笑がいくらって……この辺は、メイドカフェと変わらない。
 オムレツにケチャップで絵を描くというイベントはなかったけど。
 商魂逞しい店員だな。
 執事というのはもっと、こう目立たないようにするものではないのか。
 はっきり断るべきだろうと、わたしは執事役の店員のほうへ顔を向けた。
 横目でちらりと伺うと燕尾服の店員は、テーブルの脇で膝を折って、こちらを見上げているらしい。
 他の店員と違って、あきらかに肩幅が違う。
 ひざまずいても大きく、がっしりとしていて胸板も厚い。
 柔らかそうな栗色の髪がほっそりとした頬に一筋まつわっている。
 執事にしては存在感がありすぎるほどなのだが、何より人目をひくのは切れ上がったきつい双眸だった。
 一瞬、わたしの息は止まる。

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