「いくら落ち着いているとはいえ、相手はまだ高校生よ。ちょうど発情期よ」
 発情という単語を、やけに力を込めて伊万里は言う。
 ……なんだ。それ?
「発情期って、それも言うなら青春とかいう時期じゃないの」
「青春と書いて、“ヒート”と読むのよ」
「ヒート?」
「“生理中の犬”……つまり、発情期よ」
 真面目に聞いている自分が、とてつもなく間抜けに思えた。
 伊万里は、外見こそは美人だが、頭の中身はそっち系の人だったのを失念していたわたしが悪いのか。
 発情期とか調教とか、また変な本読んだのに違いない。

「もう、その発想から離れようよ……。世の中の高校生が聞いたら怒られるよ」
「17歳といえば、やりたい盛りよ。淫獣よ。青姦したんでしょ」
「誰が淫獣だよ。ってか、そこまでしてない。江戸川乱歩じゃないから!!!」
「それは陰獣。"陰気な獣"じゃなくて、淫乱の“淫”よ。手の施しようがないほど淫らってことよ。青姦するぐらいサカってるわけだし」
「手の施しようがないって、どんな言われかたよ。そもそもサカってないから」
「ないほうが問題あるわよ。彼みたいな将来性があるお坊ちゃんで、さらに顔のいい男って」
 意味ありげに、伊万里は言葉を切って、すくいあげるようにわたしの顔を覗き込む。
 思わず息を呑んだ。

「女のほうが放っておくわけないでしょ」
「なぁん、……を!」
 我ながら馬鹿みたいな声が口から出る。
 あわてて自分の口を押さえた。
「動揺しすぎ」
 冷めた様子で伊万里が言う。
 誰のせいだ。わざと脅かして楽しんでいるに違いない。この性格、織部くんに似ている。
「たかだか高校生に掌で転がされる優衣を見てると、本当に……なんていうか」
「なんだってのほ」
 ……噛んだ。
 織部くんだけじゃなくて、伊万里にまで転がされてるよ。わたし。

「だから、落ち着きなさいって、重い女だと嫌われちゃうわよ」
「お、重い?」
「そう、好きすぎて重い」
 重いと言われて、自分の頭の上から巨大な隕石が落ちてきたような気がした。
 そうかもしれない。
 最近、織部くんは忙しくって……もう、ずいぶんと逢えない日が続いている。
 以前みたいに頻繁に図書館にも来なくなった。受験生だから仕方ない。
 だから、逢いたいなんて言ったらいけないのは判ってる。
 織部くんに重いなんて思われていたら……どうしよう。でも、たぶん思われている。
 あの織部くんのことだ。わたしの考えなどお見通し……って、年上の彼女としては情けなすぎる。
 気分は、落ちてきた隕石で、自分の体が二頭身ぐらいまで潰れたような気がした。

「一途なのもいいけど、重いと嫌われちゃうわよ。まあ、彼のことばっかりで悶々としてないで、他にも目を向けることね」
 紙コップに入った熱いコーヒーを一口のんでから伊万里は、形のよい眉をひそめた。
「他に、趣味をみつけるとか?」
 潰れた大福みたいな気分で、わたしは答えた。
 大福……。
 そういえば、わたしの頬をひっぱっては、織部くんが似てるって、よく言ってたな。
 餡の詰まってない大福とか言ってた。それは、大福じゃない。ただのお餅だ。
 大福なら、餡がたっぷりつまっている。
 今のわたしは、空っぽだ。
 餡も何も入ってないから、こんなに悶々としてしまうのか。

「まあ、そんなわけだから優衣みたいな乙女な子には、ぴったりのとこにあたしが連れて行って、ア、ゲ、ル」
 伊万里は、昭和のアイドルのごとく立てた人差し指を左右に動かしながら言う。
「どこ?」
「執事喫茶」
「…………なんで?」
 伊万里の発想は飛んでいる。どこから執事喫茶なんて話の流れになるんだ。
 自分が行きたいだけだろ。

「だって、彼がドS王子でしょ。それなら、たまに自分がお嬢様になって仕えられる立場になってみたら?」
「……お、織部くんはドSじゃないよ。ただ、ただ意地悪なだけで、いや、違う。意地悪じゃない。ホントは優しいよ」
「その優しい彼が、どんな変態的な行為を迫ってくるのよ」
「変態じゃないってば!」
「でも、路上で変なプレイをしかけてくるんじゃないのぉ?」
「な、なななな、何、それ」
「首に縄つけて、裸で夜道を徘徊したとか」
「誰がそんなことするか。妄想がひどすぎる!!!」
「それじゃ、ノーパンで外を歩かせるとか?」
「ちゃんと返してくれたよ!!!」
「は?」
「パンツ!」
 勢いで叫んでしまった。
 親子連れの来館者が目の前を通り過ぎて行く。
“ツ”の口のまま動けない。周囲の冷たい視線が突き刺さるような気がした。
 幼稚園児らしき子供が「あのお姉ちゃん、パンツだって」と母親に訴えている声が聞こえた。
 ああ、わたしの館内での呼び名は、本日より“パンツのお姉ちゃん”だ。
 伊万里が“不思議の国のアリス”に出てくるチェシャ猫そっくりのにやにや笑いを浮かべてこちらを見ている。



 ごめん。織部くん……。

『陰獣』(いんじゅう)
江戸川乱歩の著した推理中編小説のこと。
inserted by FC2 system