殿下の居ぬ間に、執事喫茶へ行きましょう。




「それって調教の成果ってとこかしらね」
「ぶっ!」
 わたしはペットボトルのお茶を吹き出した。
 あわててハンカチで口を押さえるが、飲んでいたお茶が気管に入ったらしく、咳が止まらない。
「あら、図星?」
 澄ました顔で言う友人が憎らしい。
「な、な、なんでそうなるのよ」
「だって、優衣がそう言ったじゃない」
「言ってない。ない。ない。ない。ひとことも言ってない!!」
 図書館の給湯室横にある自販機の前だ。来館者が通りかかるかもしれないので、声を潜めているつもりがついつい大きくなってしまう。

「だって、彼とキスしたんでしょ」
「な、な、な、な、なん、なんで、そ、それが調教って」
「路ちゅー」
 奇妙な言い回しを伊万里はした。
 ピンクのグロスを塗った唇に人差し指を当てて思わせぶりな目つきをする。
 伊万里は女のわたしから見ても、かなり美人である。背も高くて、モデルみたいだから、そんな芝居がかかったポーズもよく似合うのだ。
 これをわたしがやったら、その場で通行人に張り倒されている。
 いや……今はそんなことはどうでもいい。
 なんでこんな話になったんだ。
 キスのことだって言うつもりはなかった。
 この美人顔になんとなくうまく誘導されて、つい口が滑ってしまったのだ。

 わたしは、つくづく美人に弱い。
 自分には縁のないものだからかもしれない。
 美しいというだけで、すべては許されてしまう……ような気がする。
 織部くんも、もしかしたらあの奇麗な顔に見惚れているうちに言いなりになってしまうのか。
 もっとも彼の場合は、顔だけではなくて、いろいろ強引すぎるところがあるんだけど。
 気がついたらいつのまにか、織部くんのペースに巻き込まれているのだ。
 あとになって、冷静になったときに自分のしでかしたことを思い知らされる。……死にたい。



「変な略しかたしないで。路上駐車じゃないんだから」
「ちゅーだけじゃないんでしょ」
「…………」
「いくら夜道でも、外でイロイロしちゃうのはどうかと思うの」
「ぼはっ!!」
 さらにわたしはむせた。むせるというより口に入れたお茶がそのまま滝のように、だぁ……と流れだしたというべきだろうか。
 その場で硬直するわたしの零したお茶を、せっせと伊万里が拭いてくれる。
 要介護の老人みたいな状態だが、感謝する気にはなれない。
「あらあら……。まったく年上の恋人がこんなんじゃ彼もたいへんよね」
 さらにわたしは、持っていたペットボトルを手から滑り落とした。
 まるで、先を読んでいたかのように伊万里は、すばやく煎茶のペットボトルを受け取る。
「優衣は、本当に判りやすい子ね」
「な、なん、なななな、なっ!」
「なんで、そんなこと知っているの。って、言いたいわけね」
「だっ、だ、だだ、だかっ」
「だから、どうしてわたしの言いたいことが判るのよ。……かしら?」
「………………」
 もうそれ以上、わたしは何も言えなくて、ひたすら口をぱくぱくさせていた。
「だって、あたし、優衣に盗聴器つけていたから、全部お見通しなのよ」
 えへっと、伊万里は可愛らしく小首を傾げてみせた。
 一瞬にして、わたしはフリーズ状態になる。
 脳が考えることを拒絶した。



「って、やだ。冗談よ。優衣ってば嘘、嘘」
 わたしが生ける屍となったのを、本気で心配しているらしい。
 両手を目の前で振って、あわてて覗き込んできた。
 かろうじて、わたしの脳は再起動する。
「う、……嘘って、それじゃ……なんで歳のこととか……」
 それ以前になんで、見たようなことを……本当にどこかで見てたのか。
 調教ってなんなの。
 ライオンに芸を教えるアレなの?

「優衣の彼って、あのカトリック系の超有名進学校の生徒でしょ。ってか、外見は落ち着きすぎて男のコって感じじゃないけど、あの制服は目立つもんね」
 今まで必死に隠してきたことを、あっさりと見抜かれて、わたしは目の前が真っ白になった。
「な、なんで、そこまで知ってるのよ」
「だって、彼がきた時の優衣の挙動不審な態度は、誰が見てもすぐに判るわよ。あれで隠してるつもりだったの」

 ………………つもりでした。
 織部くん。ごめんなさい。
 わたしって、本当に駄目な彼女だ。こんなにあっさりと、見抜かれちゃうなんて。
 どうか織部くんに迷惑がかかりませんように。



「何、そんなにしょんぼりしてるのよ。大丈夫だって、見た目だけなら、それほど違うようには見えないから」
「み、見た目じゃなくて、彼が未成年ってことに問題があるのよ」
 わたしの言葉に伊万里がふうとため息をつく。
「まあ、悩むんなら、もっと別のことだと思うわよ」
 年齢以外に、もっと悩むことって……わたしの頭の中身が足りないとか言わないよね。

「教えてあげましょうか」
 なんだかこの世の叡智を教えてくれる大賢者みたいな、厳粛な面持ちで声を潜めて、伊万里が言う。
 わたしは、ちょっと緊張してきた。
 彼とつり合わないのは、すでに自覚している。わたしの考える以外にもまだ、あるのか。
 顔か? 顔がつりあわないのは、誰が見ても判ることだ。
 身長差も大きい……。
 まさか家柄?
 織部くんの礼儀正しいところや、言葉づかいの古臭い感じとか、どこかのお坊ちゃまなのかも?
 そういえば、彼の家のことなんか聞いたこともなかった。
 付き合ってるくせに彼のことを知らないことが多い。

 息を詰めて、彼女の方にずいっと寄った。
 自販機の前で、女ふたりの鼻先がくっつきそうなほど顔をつき合わせているのは、もし来館者や同僚たちが見たら何ごとかと思われそうだったが、今のわたしはそれどころではなかった。

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