殿下の愛情表現は、歪んでいるのでございます。




「織部くん、一局どうかね」
 優衣の家に行くと、必ず彼女の父がそう言う。
 俺が優衣を痴漢から助けたのがきっかけで、よく食事に誘われるようになり、食事の前には必ず、座敷で碁盤を囲む。
 表向きは、碁を打つために来ているのだから仕方がない。おそらく彼女の両親は、俺がこの家の一人娘を目的に通っていることを知っている。
 気がつかないのは、優衣だけだ。
 こうして碁を打っていると優衣が足つきの膳を持って、俺たちの脇に置く。
 膳の上には酒と肴。俺は未成年だから煎茶である。
 肴は、おそらく貝柱だろう。なぜか不気味な色に染まっている。これはいったい、何なんだ……。
 薄茶色の粘つく液体は、ソースともドレッシングとも言いがたい。
 粒マスタードの色か?
 いや……イクラか。イクラの原型がなくなっているが……。
 優衣は、確か“ホタテのカルパッチョ”とか、言っていた。
 おそらく材料を切って和えただけと思われるが、恐ろしく奇妙な外観だ。
 どうやったら、こんな奇天烈な物体ができあがるのか、作っている現場を見てみたい。
 それでも、食べられないものを優衣が持ってくるはずもないので、薄切りのホタテらしきものを箸で摘んで口に運ぶ。
 見た目よりずっと味はいい。ホタテの甘みと、ドレッシングのほのかな酸味がよく合う。
 日本酒や白ワインに合うのではないか。

「織部くん、無理して食わんでもいいぞ」
 苦笑いをしながら、彼女の父親が言う。
 上品そうな紳士で、昭和の古き父親像そのもののような人だ。
「いいえ、おいしいですよ」
「優衣のやつめ、一向に料理の腕が上がらんわ」
 父親は、箸を置いた。
 そんなことはない。優衣は、料理が得意なのだ。
 どうも俺に食べさせる物に関しては、いつも失敗するらしい。
 極度の緊張で包丁を持つ手も震えているのだという。
 家族用に作ったらしい漬物もちょうどいい具合に漬かっている。
 ただ、俺のために作るとなると勝手が違うのだと、こっそりと彼女の母が俺に打ち明けてくれた。
 鍋は焦がすし、調味料の量を間違える。わりと度胸はいいほうだから、本番には強いタイプだと思っていたんだけどね……そう言って笑う母親の口もとから白い八重歯が零れる。優衣も同じ八重歯があった。
 そんなことを聞くと、一生懸命な優衣の姿が眼に浮かぶ。
 もしかしたら、職場での失敗も俺が見ているからなのだろうか。



丁先ちょうせん
 優衣の父が握った石の数は十四。
 これはニギリという行為で、どちらが黒(先番)か決定するのだ。
 目上の者が白石を握りその個数が奇数(半)か偶数(丁)かを相手が当てる。
 俺は、黒石の碁笥ごけを引き寄せた。
 一礼してから碁盤に石を置いた。
 優衣のいない部屋で、ぱちりぱちりと碁石の音が響く。
「こりゃいかん」
「投了ですか」
「まあ、たまには若者に花を持たせてやるか。優衣、お替わりを頼む」
 父親が声をかけると、障子が開いて優衣が顔を出す。
 あらかじめ用意してあったのだろう、新しい膳を運んでくれた。
 優衣は、すぐに出て行かずに俺たちが碁笥を取り替えるのを面白そうに見ている。
 俺が白石を取って置くのを見て優衣は、ぽそりと呟いた。

「……。織部くんの石になりたい、な……」
「……。…………。……」
 俺は驚いて、優衣の様子を伺ったが彼女はひたすら俺の碁石を見つめている。
 いや、俺の指先か。
 石になりたい?
 昔の映画でそんなのがあったな。
 いや、あれは“わたしは貝になりたい”か。
 そういえば、女というのは体の一部に貝に似た部分が……。
 我ながら、馬鹿な妄想が頭をよぎる。
 医学書の処女膜だの、無修正のAVを見たところで、何の感慨もなかったはずだった。むしろ、女子学生の集団を見ただけで、そのことを思い出したらゾッとしたものだ。
 こいつと付き合うようになって、ようやく俺もまともな男の仲間入りをしたということか。
 あるいは脳内が中学生レベルに退化しただけなのか。

 いや。そんなことより、なんで石なんだ。……俺の石?
 碁石みたいに俺に摘まれたいってことか。
 いつも、摘まんでるだろう。鼻の頭とか、頬とか。
 あいつの鼻も頬も、どこもかしも小さくて柔らかい。
 ぷにぷにとした頬など、つきたての餅みたいだ。だから、つい触りたくなる。
 触っていて気持ちがいいし、軽くひっぱってやるとすぐ膨れるのが面白い。
 見た目は、まるっきり子供みたいに小さくて華奢なのに胸は、服の上からでもはっきりと判るほど豊満だった。
 そこに触れると、驚くほど敏感に反応する。怯えきって涙目になるから、それ以上のことはできない。
 だが、もっと敏感な部分もつまんでやりたい。
 そのとき、彼女はどんな顔をするのだろう。

 まさか、優衣はそれを望んでいる……わけがない。
 馬鹿らしい。
 妄想が過ぎる。
 あのオクテの優衣に、そんな発想そのものがないことぐらい判っている。
 単純で純粋で、すぐに騙される。こんな俺の言うことをすぐ真に受けて、勝手に傷ついている馬鹿だ。



 その呟きは本当に小さく、俺自身も優衣の声でなければ聞こえなかっただろう。
 多分、彼女は無意識に考えていることを、口にしてしまったのか。いや、俺の願望か?
 中学生だって、こんな馬鹿らしい妄想などしないはずだ。
 慌てて碁盤の方へ集中しようとするが、今の優衣の言葉が脳内でリフレインする。
 ダメだ。集中できない。
 二局目の碁は、もう終盤に入っていた。

「どうしたね。織部くん」
 彼女の父が嬉しそうに言う。
 形勢はもはや立て直しができないほど、不利である。
 俺は、脇に置いてあった碁笥を盤の上に差し出した。
「投了かね」
「はい」
「ふむ、一勝一敗か」
 優衣の父はすっかりご機嫌だ。
「織部くん、もう負けちゃったの。早かったのね」
 屈託のない顔で優衣が言う。

 誰のせいだと思っているんだ。

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