「志野さん。俺は、あなたが好きだ」
 織部くんはわたしの方に向き直りながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 その言葉に一瞬、わたしの思考がショートする。
 いきなりですか? あれ、今のわたしの幻聴かしら。
 まさかの告白……?
 って、いけない。自分の都合のよい方へ解釈してしまいそう。
 織部くんは、まっすぐにこちらを見て、わたしの返事を待っている。
 冗談とか、まさかの罰ゲーム? まさか、織部くんに限ってそれはナイ。
 それなら、ただの友情?
 うん。たぶん、そうだ。そうに違いない。

「わたしも大好きよ。織部くん」
 できるだけ笑おうと思うのに、顔がこわばってうまくいかない。
 赤くなっちゃいけない。そう思うのに顔がほてる。
 どうしよう。わたし、起きたまま寝てるの?
 これって夢?

「俺が言っているのは、愛しているということだ。友人としてではない」
 真剣な顔で彼が言う。
 好き、とか付き合って欲しいとか、一緒にいると楽しいなんてことなら言われたこともあるけど。
 愛してるなんて……そんなことを真顔で言えるのも、高校生だから?
 見据えられて、わたしは呼吸が止まる。
 いつもは薄墨色の眸が、周囲の暗さを吸い取って今は真っ黒に見えた。
 触れれば切れてしまいそうな、まっすぐで、むき出しの感情の激しさが痛いほど伝わってくる。
 たぶん、それが本来の彼自身なのかもしれない。
 いつも落ち着いていて、物静かな織部くんの初めて見る高校生らしい姿だった。
 わたしの胸から心臓が飛び出しそうな勢いで脈打っている。
 苦しいほど早い速度で高鳴っている。
 静まれ、わたしの心臓。
 ちゃんと、大人らしい返事をしなくてはいけないと思うのに、言葉が見つからない。
 嬉しい。嬉しくて……死んじゃいそう。
 だけど、いいの。ずっと彼よりわたしは年上なんだよ。
 いつか、彼は自分と年の近い女の子に目がいってしまう。そのときわたしは、どうしたらいいの。
 彼の手が伸びて、わたしの頬に触れる。
 気がつかないうちに泣いていたらしい。
 節の高い指がわたしの涙を拭う。
 されるままに動かないでいると、織部くんが眉をよせた。

「すまない」
「え?」
「志野さんが迷惑に思うのは当然だ。だから、泣かないで欲しい」
「ちが……」
「忘れてくれていい。俺は、自分の気持ちに整理をつけたかっただけかもしれない。志野さんを巻き込んでしまって申し訳なかった」
 そう言う彼の顔は、今まで見たことがないほど儚げで、この人の方こそ泣きそうに見えた。
 口ぶりこそは、しっかりしていて大人びて見えるけど今、彼は必死なのだ。
 どれほどの思いを込めて告げてくれたのだろう。

「違うの、違うの」
 わたしは泣きながら首を振った。
 涙が止まらない。目の前にいる織部くんが曇って見える。
 でも、だからこそ言うことができるかもしれない。

「わたしの方こそ、あなたが……好きなの。ずっと好きで……わたし……」
 堰を切ったようにわたしの口からは、封じ込めた思いがぼろぼろとこぼれる。
 初めて逢った日から、わたしはあなたに堕ちていった。
 底のない、どこまでも深い。
 この想いが自分でも恐ろしかった。

「わたしの方が年上だから、ちゃんと大人の対応をしなきゃ、って考えているうちに自分でもどうすればいいのか、判んなくなって……でも好き、好きなの。どうしょうもないくらい、あなたのことしか考えられないの!!」
 涙と洟水にまみれたみっともない告白。
 織部くんはハンカチを出した。受け取ろうとすると、彼はわたしの顔に押し付ける。
 化粧も取れそうなほど、力任せに拭かれて、わたしは涙も乾いた。

「ひどい!」
「ひどいのはどっちだ」
 怒気をこめた彼の低い声にわたしは、震え上がってうつむく。
「散々、翻弄させてくれて」
 わたしの顔を両手で挟んで、強引に持ち上げる。
 化粧もとれ、充血した目と赤らんだ鼻。そんな顔を見られまいとわたしは抵抗するが、彼の力にはかなわない。
「見ないでよ。ひどい顔してるんだから」
「そうだな」
 嘘でもそんなことはない。と、言って欲しかった。
 情けない自分に比べ、織部くんの涼しげな顔。
 ちょっと憎ったらしい。
 今さらだけど、完全に織部くんに主導権を握られている。
「今、言ったことは本当か」
 顔を背けたいくらい恥ずかしいのに、織部くんは、なおも顔を近づけてくる。
 近い。近すぎるよ。
 キスをしそうなほどの距離。それなのに彼の物言いは、なんだか学校の先輩みたいに高圧的だ。
 もしかして織部くんって後輩たちには、こんな感じなのかもしれない。
 こんな先輩。怖くて、いやだよ。
「本当なのか」
「う……ん」
 詰め寄られてわたしは、なんとか返事をした。
 思わず、ハイとか言いそうになった。いつの間にか織部くんから敬語がなくなっている。
 それが嬉しくて今だけは、この先のことなんて考えられない。
「明日、会えるか」
「……うん」
「優衣と呼んでもいいか」
「うん」
 名前を呼ばれて、頭がくらくらした。
 どうしよう。織部くんに名前呼ばれちゃった。
「優衣にキスしてもいいか」
「うん」
 続けて彼が言うから、そのまま返事してしまった。あれ?
「もう遅い」
 彼は、屈んで顔を寄せた。
 突然のことにわたしは体を硬くして、それでもあわてて眼を閉じる。
 額に柔らかい唇の感触を感じて、驚いて眼を開けると、今にも笑い出しそうな彼の顔があった。
 唇へのキスを期待してしまっていた自分を見透かされていたようで、カッと全身が熱くなる。
 まんまとしてやられた!
 なんだかものすごく悔しい。
 年下の彼に、遊ばれてる。わたしは、とんでもない返事をしてしまったのではないだろうか。

「さあ、早く帰ろう。でないとせっかく築いたお父さんの信頼を失ってしまう」
 織部くんはわたしの頭をぽんと叩いて、そう言った。
 いつの間にか立場が逆転している。完全に織部くんのペースなんだけど。
 気恥ずかしいのと、年下の彼にいいように扱われたことが悔しくって、どうしたらいいのか判らない。
 もう、やだ。顔から火が、噴出しちゃいそう。
 わたしが黙り込んでいると、彼は耳元でこっそり囁く。
「優衣のお父さんに気に入られようとして、囲碁まで勉強した俺の努力を無駄にしないでくれ」
「えっ、織部くんは囲碁が好きで、うちに来てたんじゃないの」
「俺は将棋しか知らん。囲碁は優衣のために覚えた」
「なんで」
「将を欲すば、まず馬を射よ」
「マズイ馬を喰え? やっぱり織部くん、夕食の馬刺し嫌いだったのね。無理して食べなくてよかったのに」
 わたしがそういうと、織部くんは少し呆れた様子で答えた。
「杜甫の五言律詩“前出塞九首其六”だ。馬鹿」

 考えてみれば、わたしが彼に馬鹿と呼ばれたのは、あれが最初だったかもしれない。

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