殿下の戦略は馬刺しと囲碁でございます。




 初めて彼と出逢ったのは、彼の学校だった。
 なんとか学園とかいって、ものすごく広大な敷地の中に、中学校と高校がある。大学はもうちょっと離れた場所にあるそうだ。
 校門でもらった入校証を首からぶら下げて、高校の職員室を探す。校内は学校というより、中世の城館みたいだ。
 尖塔や十字架。わたしの知っている世界とはまるで切り離されたような世界。
 ミッション系の学校なので外国人の神父がときおり通り過ぎて行く。

 廊下のあちこちに、彫像が置かれ、巨大な宗教画が壁に飾ってある。殉職した聖職者の姿だったり、十字架にかけられたキリストだったりして、そのリアルさが恐怖を増す。
 ホラー映画みたいに、ついつい後ろを振り返ってしまいたくなる。
 男子校だから、当たり前かもしれないけど女性がまったくいなかった。もしかしたら、食堂とか保健室にはいるのかもしれないが、生徒たちが物珍しげにすれ違うのも恥ずかしい。
 私語をする学生もほとんどいないせいか、学校という感じがしない。彼らの着ている最近ではすっかり見なくなった黒い詰襟の制服も、まるで神父の着ている僧服に見えてしまう。
 どこかの魔法学校だって、もうちょと活気があったはず……。
 ここ、本当に現代の日本なの? 本気で心配になってくる。
 校内では携帯電話が圏外になっているし、今どき携帯電話が繋がらない場所なんてないだろう……とか思っていたら、ここにあったよ。


 螺旋階段を登りきったところで、袴姿の人にぶつかった。
 見上げるほど背の高い男の人だ。学生にも見えないので、思い切って声をかけた。
「あの、すいません。職員室はどこですか」
「そこを右に曲がった突き当たりです」
 初めての会話はそれだけだった。
 わたしはそのとき彼の低い声に聞き入り、振り向いた彼の端正な横顔に見惚れた。
 すごく奇麗な人だけど、なんだかちょっと怖い。
 それが第一印象。
 そのときの織部くんは、道着袴だったので、てっきり剣道部の顧問の先生かと思ったのだ。(後で聞いたら弓道部だったのだが)
 どうやってお礼を言ったのかも覚えていない。頭を下げて逃げるようにその場を立ち去った。
 教えられた職員室に行くと、会議中で立ち入り禁止になっている。
 以前、お世話になった司書教諭に頼まれていた美術書を持ってきたのだが、時間の指定をしていなかった。ここまで来て、まさか会議中にあたるなんて。
 会議はどれくらいで終わるのだろう。休館日で別に待つ時間はあるが、恩師とはいえ勤務先が男子校と知っていたら絶対に来なかった。
 独特の雰囲気の中、部外者にはいたたまれない。
 いったん、家に戻ろうかな。



 廊下で、うろうろしていると、またあの低い声に呼び止められた。
「どうしました」
 肩幅の広い大きな人だ。
 白い道衣に黒の馬乗袴は、このホラー映画に出てきそうな古い洋館の中では、異質に見えた。
 わたしは、チビなので、どうしても、長身の彼を見上げることになる。
「あの、瀬戸先生に頼まれていた美術書を持ってきたんですけど、今、会議中で」
 きつい眼に見据えられて、わたしは口ごもりながらもなんとか答えた。
 すると彼は、ためらいもなく職員室のドアを開けて、入り口近くに座っている教師に声をかけてくれる。
 おかげで無駄足を踏まずに済みそうだ。
 別の場所で待ち合わせをしてもよかったのだが、何せ忙しすぎる人なので、なかなか捕まらないのだ。
 お礼を言っていると、司書教諭が現れ、彼が生徒であることをわたしは知る。
 わたしの驚きぶりを見て、教諭は笑い彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
 そんな風に眉間に皺を寄せるとますます、老けて見えるのに……。
 それがわたしたちの出逢いだった。

 すてきな人だな、とは思ったけど高校生では恋愛の対象にはならない。
 そう思っていたはずなのに。










 初めて逢った次の日から、わたしの勤める図書館で彼と顔を合わせるようになった。
 同僚の話によると彼は、以前から来ていたらしい。わたしが気づかなかっただけようだ。
 いつもカウンターの業務をしているとは限らないし、彼のほうも部活の帰りなのでいつも遅いから、たまたま会うことがなかったのだろう。
 あんなに目立つ人なんだから、今まで気がつかない方がおかしい。
 ときどき彼は、捜している本を尋ねてくる。
 意外にも児童書や英語の絵本だったり、およそ学生には不似合いなものが多い。
 そのわりに言葉をかわすことも最小限で、いつも不機嫌そうにしていた。
 外見だけではなく、内面までも彼は老成している。
 本の取り寄せのために、彼の名前と住所を訊くことができた。
 織部稜――オリベ・リョウ。
 稜って、ちょっと変わってるかも……なんとなく硬そうなイメージ。
 確か、態度のかどばってるとか、威厳のあるとか、そんな意味じゃかなかったっけ。

 わたしは志野優衣って名前なんですよ。シノ・ユウイ。
 美濃焼の代表で織部と志野ってあるの。知っているかな?
 冗談ぽくちょっと言ってみたかったけど、さすがにそんなことはできなかった。
 ところが、彼のほうから「志野さん」と呼んできた。
 驚いたけど、なんのことはない。胸の名札を見たせいかしら。
 彼の低い穏やかな声に、名前を呼ばれるのは少しだけ、いや、とても嬉しい。

 恋愛感情なんかじゃない。
 芸能人より、ちょっと身近で気軽に話しができるわたしのアイドル。
 ただそれだけ。

 しかし、アイドルとファンの垣根を越えてきたのは、意外にも彼の方からだった。

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