殿下のお好みはブルーマウンテンでございます。

 ふたりっきりのデートというものに憧れる。

 成人女性が、男子高校生と付き合っているなんて、ちょっと世間の目をはばかるのだ。
 そんなことになる前に、さっさと身を引けばいいんだろうけど、こればかりは、今さらどうしょうもない。
 彼は気にするな……って、いうけど、このことがバレたら社会的に断罪されてしまう。
 そうなったら織部くんは、きっと、わたしを庇ってくれるだろうけど、そんなことに巻き込みたくなかった。
 せめて、彼が大学生になればもう少し状況は変わってくるのかもしれない。
 とりあえず、今の段階では織部くんは高校生で、わたしよりもずっと年下で、世間から見ればきっとわたしが真面目な男子学生を誑かした悪い大人となるはずなわけで……。



 有名進学校の生徒さんで、弓道部で……って、だからこんなに肩が広いのかしら。
 さらに礼儀正しく頭がよくって、本当に非のつけどころのない人なんだけど、じつはわたし以外の女の子と付き合ったことがないのだという。
 もしかしたら、初めて付き合う異性だから、彼は勘違いしてしまっているのかもしれない。
 恋をしたことない織部くんが、たまたま身近にいたわたしをその対象としただけだとしたら?
“年上の女”ちょっと珍しいだけのそんな存在なのかもしれない。
 そんな彼だから余計に周囲は、わたしを悪の権現と見ることになるんだろうな。
 免疫のない男の子につけこんで、恋人気取りの馬鹿な女。
 確かに、その通りなんですけど。

 それにしたって、どうしてこんなことになったのか、自分でも判らない。
 いくらステキだからって高校生の男の子に、本気の恋をするなんて。



「馬鹿か?」
 わたしが真剣に考え込んでいると、織部くんは決まってそういうのだ。
「本当に馬鹿だな。お前」
 馬鹿って……わたし、あなたより、けっこう年上なんですが……。そこには頓着しないのね。織部くん。
「誑かしたのは俺のほうだ。だが、優衣を困らせるようなことはしない。約束しただろう」
 そう。彼は気を使ってくれる。
 人前では決して手を繋いだりしないし、会う場所だってよくよく考えてくれている。
 不倫中のカップルみたい。
 そんなわけで、二人で喫茶店に入ることなどほとんどないが、遠出をしたデートの時は、こっそり喫茶店に入ってみたりする。
 できるだけ、若い子の入らないような渋いお店。でないと、他の学校の子に見つかってしまう。
 彼の学校は男子校らしいけど、近くの高校の女の子に告白されたりするわけで、少しも油断ができない。
 織部くんは、無口で無愛想なくせに意外ともてる。
 黙っていると高校生に見えないくらい落ち着いているせいかもしれないけど、なかなかお顔もよかったりするわけで……。



 とりあえず、喫茶店を選ぶにも彼はコーヒーが好きだから、きちんと豆を挽いてくれる店でなくてはならないのだ。
 でも、わたしはコーヒーがあまり好きではない。
 織部くんが好きなものをわたしも好きになりたかったけど、彼が好むような濃いコーヒーは、わたしの口に合わなかった。
 苦いだけではなくほのかな酸味があったり味が複雑だったり、とにかく苦手なのだ。
 それなら深煎りのコーヒーを飲んだらいいって、彼は言うけど深煎りと浅煎りの違いだって、あんまりよく判らない。
 わたしって、猫舌だし。
 胃が弱いほうだしと、わたしが言ったら「頭も弱いし」と、彼は続ける。
 そんなに弱くないもの。でも……彼の学校の試験問題はさっぱり判らないんだけど。

 何度か来るようになって、この店のマスターのこだわりがすごいことが判った。
 コーヒー専門店とはいえ紅茶もココアもない。
 仕方がないので、わたしはホットミルクを飲む。なぜかといえば、わたしの飲める物がそれしかない。それも店長のご好意で、わざわざ用意してもらっている。
 最初は、これでもカフェオレだった。それがお店側のサービスなのか。ミルクの比率がどんどん大きくなってきて、ほとんどコーヒーじゃなくなってしまったのだ。
 流行のカフェなら、もっといろんなメニューもあるんだけど、そんな店は若い子が多い。
 かといって、わたしに合わせて紅茶専門店へ……とかいうと、今度は女の子ばかりのお店で、ムダにカッコよすぎる彼は目立ってしまう。
 結局のところ、地味で渋い雰囲気の珈琲専門店になってしまう。
 あんまりお客さんがいなくって、たまに来るのもかなり高齢の男の人だったりして。
 そんなお店で注文すると、ほぼ百パーセントの確率で店員はわたしの前にミルク、彼にはコーヒーと伝表を置く。

 ちょっと複雑な気分。
 コーヒーは、ともかく伝票まで彼なのは問題なのだ。
 こだわりのコーヒーらしいが、お値段も高い。最低でも一杯千円ぐらいするから、その伝票はわたしに欲しい。
 高校生に払わせたくない。そう思ったからトイレに行くふりをして、伝票をとったらすぐに取り返された。
 わたしが出すと言っても聞かない。仕事ぐらいしているのだと言う。仕事って高校生のバイトじゃないの……でも、そんなこと言ったら、彼が怒るから言えない。
 結局、わたしはいつも奢ってもらうことになる。
 いいのか、これで。
 わたしの方が年上なのに、社会人なのに。
 彼はまだ、学生なのに。
 そう、そこがいちばん問題のところ。高校生におごってもらうなんて、本当にダメな大人。



 ダメな大人のわたしは、ブルーマウンテンだの、キリマンジャロだの。名前だけは覚えたけど味の違いも判らない。どれも苦いばかりに感じるんだけど、それを織部くんは砂糖もミルクも入れずに飲んでいる。
 それも思いっきり火傷しそうに熱いコーヒー。
 彼の前で、わたしはミルクの入ったカップを両手でもって、ふうふうと口を尖らして冷ます。ちょっと舌先で温度を確認しないと猫舌なので飲むのにも躊躇する。
 これでは、どっちが大人なんだか判らない。
 わたしは喫茶店が苦手。熱いブラックのコーヒーも嫌い。
 でも、アンティークな調度の中で織部くんは絵になる。
 飴色の照明が、彼の顔の輪郭を縁取るとわたしは見惚れてしまう。
 きつい眼もとが伏せられると、思いっきりわたしは彼を見つめることができる。
 カップを持つ長い指先。小指の付け根にタコができている。これってペンダコ?……にしては、場所的に変よ。小指ってペンを持つところじゃないし。
 でも、やっぱり勉強してるのよね。だって受験生だもの。
 いいのかな。付き合わせてしまって。
 わたし、彼のお荷物になってない?

「どうした?」
 突然、織部くんがカップを置いて言う。
 あ……やっぱり、変よね。ずっと見てたら気持ち悪いよね。
 あわてるけど、よく考えたら高校生と社会人では共通の話題なんて無いに等しい。
 仕方ない白状しよう。
「お、織部くんの……手ね……あの」
「手?」
「見てたの。タコがあるから……ペンだこじゃないし、鉄棒?」
 体操選手じゃあるまいし、鉄棒でタコって、自分でも変なこと言ってると思う。
「俺は、弓の持ち方の基本ができていないからな」
「弓? あ、そうだよね。弓道部だから」
 判りきったことをあらためて、確認するようにわたしは、力なく笑って見せた。
 どうして、こんなに緊張してしまうのかしら。
 世間の恋人同士ってこんな感じなの?



 話の接ぎ穂を失うと、また、わたしたちの間には沈黙が流れる。
 ゆっくりと動く彼の喉もと。
 高校生といえば、まだ成長の過渡期にあるのかもしれないのに彼は、すべてにおいて完璧だった。
 すてきな人だな。
 でも、わたしよりずっと年下なのよね。
 どうして、こんなにこの人が好きなのかしら。彼といっしょにいるだけで、わたしは心臓が破れそうな気がする。



「優衣」
「……ん?」
「なんだ」
 織部くんは、眉を寄せてわたしに言う。
 ちょっと不機嫌そうに見えるけど、別に怒っているわけじゃないのは判ってる。
 たぶん、わたしが、ずうっと見ていたのに気づいたらしい。
「なんでもないよ」
「そうか」
 カップを置いて今度は、織部くんがわたしを凝視する。
「な、なんなの」
「なんでもない」
 わたしが言ったことを真似してる。性格悪いよ。
 恥ずかしくなって、横を向いた。
 かすかに織部くんが笑ったような気がして、つい彼の方を見てしまう。
 目が合うとふいに、笑ってくれた。
 ダメだ……。その顔を見てるだけで、わたしはフライパンの上のバターさながら、蕩けてしまう。

 いつか彼が、本当の恋を知るまでは、こうして一緒にいてくれるのかな。
 その時までは、もう少し……もう少しだけ。


おまけのマスターの話

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