わたしの勤務する図書館の閉館時間はいつも午後6時なのだが、週に二回だけ8時まで開いている。
 閉館後の後片付けをすると、もう夜の九時を過ぎていた。
 図書館と駅はほんの眼と鼻の先なのだが、大きな公園と隣接しているため夜道はちょっと怖い。
 同じ方向へ帰る人もいなかったのでわたしは、小走りで駅に向かった。

「優衣!」
 夜の闇に吸い込まれるようなしっとりとした声が響く。
 織部くん?
 わたしは驚いて振り返ると、やっぱり彼が学生服のままそこにいた。
「どうしたの。こんな時間に」
「優衣を待っていたんだ」
「えっ、だって織部くんが図書館に来たのは夕方だったよ。今まで、どうしてたの」
「本を読んでた」
「どこで、図書館閉まってたでしょ?」
「公園の街頭の下でな」
「寒かったんじゃないの。それに寮の門限は大丈夫なの。目が悪くなっちゃうよ」
「一度にまくしたてるな」
 織部くんの声は、ほとんど感情が読み取れない。
 怒っているのか、それとも心配してくれているのか。たぶん、その両方なんだと思う。
 彼にそんな思いをさせてしまう自分が、なんとも情けない。
 もっとわたしがしっかりしていたら、そんな心配させたり、怒らせたりしないのに。

「……ご、ごめんね……」
「優衣が泣きそうな顔をしていたから、帰るに帰れなかった」
 あなたに叱られて悲しかったんです。とは、とても言えない。
 織部くんってば、やっぱり心配してくれていたんだ。そんな優しいこと言われちゃったら、また泣きたくなってしまう。

「……ごめんな、……しゃい」
 本当に涙をこらえていたら、鼻声になってしまった。
 ――シャイってなんだ。シャイって、わたしは五つの子供か?!
 恥ずかしさに、必死に自分で自分に虚しいツッコミを入れる。
 織部くんは、はすかいに目を細めてわたしを見下ろす。
「気にすることはない。俺が勝手に待っていたんだから」
 そう言って彼は、わたしの頭を力任せにぐりぐりと撫でる。
 大きな手で髪がくしゃくしゃになるほど押さえつけられて、わたしは顔に血が昇った。
 織部くんは高校生のくせにわたしより、頭一つ分くらい背が高い。
 だから、そうされてしまうとどっちが大人だか判らなくなってしまう。

「送ろう」
「ありがとう。ねえ、お腹すかない? 今日給料日だからなんでも好きなものご馳走するよ」
 言ったとたん、織部くんが眉間に皺を寄せた。
 いけない。こういうことに彼はものすごく敏感なのだ。
 まだ学生で親のすねかじりのくせに、わたしが奢ると言うとすぐに機嫌が悪くなる。
 いや、すねかじりとか言ったら、また怒られそう。彼はちゃんと仕事をもっていて、それでデート代をまかなっているそうだ。
 詳しく聞いたことなかったけど、ネットビジネスみたいなものらしい。パソコン関係のバイトなのかな。
 それなら割り勘でと思うが、それもダメ。若いくせに変に古風で困る。
 でも、バイトや学校の合間にこうして会いにきてくれるのが本当に嬉しくってたまらない。ああ、わたしはやっぱり織部くんが好きなんだわ。
「あの……ごめんね」
「優衣は謝ってばかりだな」
 織部くんは、わたしの肩を抱いて引き寄せた。
 気がついたら、ずっと織部くんのペースに巻き込まれている。
 彼のことが、すごく好きなくせこうやって、手のひらで転がされているというのか。それがちょっと悔しくなるときがある。
 わたしばっかりが、彼のことを好きみたいでつまらない。彼の体を押し返す。

「だめだよ。いつも言ってるでしょう。誰かに見られたら大変だってば」
「大丈夫だ。暗くて顔まで判らん」
 わたしの抵抗を軽くかわして、織部くんはわたしを抱きしめる。
 ここが路上であることを、彼は判っているのか。
「ちょっと、織部くん」
「動くな。ずっとこうしたかったんだ」
 低い声で彼は、わたしの耳元で囁く。
 年上の威厳もあったものじゃない。
 わたしは彼の腕の中にすっぽり収まってしまう。

「すまなかったな」
「織部くん」
「俺がきついことを言ったから、あんな顔をしていたんだろう」
 お見通しってわけだ。隠すだけムダだったみたい。
 恥ずかしくなって、いっそう顔がほてる。あんまり顔が熱くって、耳なんて焼けてしまいそうなほど。
 うつむいているから彼には、見えていないのがせめてもの救いだ。

「優衣が仕事をしている姿は……」
 織部くんは少し言いよどんで、わたしを抱きしめる腕に力が入る。
「俺には、お前が遠くに見えて寂しくなるんだ」
「えっ?」
 彼らしくないその言葉に、びっくりしてわたしは顔を上げる。
 照れくさそうなその顔。
 いつも余裕綽綽な人なのに、こんな顔するの? なんだかそれって……ずるい。

「だから、少し苛めてみたくなる」
「ええっ!!」
「泣きそうな顔して俺を見つめる優衣の顔が好きなんだ。とても年上には見えないから」

 彼は、年齢詐欺だ。
 こんな高校生がいるものか!!
 わたしがむくれて横を向くと、織部くんが言った。
「そんなにふくれたら、顔が元に戻らなくなるぞ」
「失礼ね。これが素の顔よ」
「もとが餅みたいな顔だから、判らなかった」
「どんな顔だって言うのよ!!」
「こんな顔だ」
「ひゃめて」
 両手でわたしの頬をつかんで引っ張った。大きなごつごつした手で引っ張られたまま、止めてと言うつもりが言葉にならない。
「…………」
 織部くんは手を緩めて、顔を寄せる。触れるか触れないかの軽い口づけ。
 ふっと眼を細めて、彼が笑う。ああ、またこの表情。

 やっぱり、織部くんはツンデレだった。

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