殿下のツンデレは仕様でございます。




 彼は多分ツンデレな人だと思う。
 ……いや、別にデレてくれたことなんて、よく考えたら、一度もなかったような……気もしないではないが。



「志野さん」
 ふいにわたしの大好きな低い声に呼ばれた。
 学校帰りらしい学生服姿の織部くんがそこにいる。
 今日は会えるなんて思わなかった。
 わたしたちが付き合っているのは、秘密だから人前で織部くんはわたしを志野さんと呼ぶのだ。
 嬉しくなってとびっきりの笑顔で返事をしたら、持っていた本を落としてしまう。
 慌てて、拾い上げて並べなおそうとすると、彼からの厳しい一言があった。
「本の並べ方が間違ってる」
「えっ?」
 わたしはもう一度、本のタイトルを確認した。
 ……嘘。
 なんという間違えかたしてるの。わたしったら!!
 作家の名前を間違えて、まったく違う場所に置こうしていた。
 よりにもよって、危うく官能描写の強い作家の本を、実用書の棚に並べるところだ。
「……ごめんなさい」
「よりによって“家畜人ヤプー”をペットの飼い方の本と混ぜるその感覚に驚かされるな」
 お願い……そのタイトル言わないで。
 穴があったら入りたい。なんで、ここまでひどい間違いをしてしまうのかしら。自分のドジっぷりに泣けてきそう。
 わたしは顔から火が噴くような気がした。恥ずかしすぎる。
 中高生に人気のライノベならドジっ子がウケるかもしれないけど、現実にいたら普通に腹立つだけ。
 だけど、高校生がなぜこんな古典的SМの本を知っているのかしら。その事実も驚きだよ。
 文学界では有名な本で三島由紀夫や澁澤龍彦に寺山修司らが賞賛したというけど、内容は恐ろしくグロテスクなものだ。未完の名作といわれている。



 じつのところ、上司よりも織部くんは怖い。
 本を抱えてカウンターに帰ると、織部くんもついてきた。
 まさか、この本借りるつもりじゃないでしょうね。高校生が読むような本じゃないのよ。私だって、読んだことないんだから。
 織部くんがカウンターの前にいるわたしに差し出したのは、洋書だった。
 高校生のくせに(と言えば、偏見かもしれないけど……)織部くんは辞書を片手に洋書を読む。
 学校がカトリック系だからかもしれない。
 彼の鞄の中にはいつも洋書が入っている。
 その本を受け取ろうとしたら、横から豹が割り込んできた。
 いや違う。胸元に豹の顔をあしらったトレーナーだ。きつめのパーマのせいか爆発しているみたいな頭。何かの漫画で出てきそうな典型的なオバさん――じゃなかった。
 えっと、お名前は上沼さん。
 よく来てくれるんだけど、いつも、割り込みが多いのよね。
「順番にお待ちくださいね」
「何言ってんのよ。あたしのほうが先だったわよ。ちゃんと見てないの」
 見かけだけじゃなくて、口ぶりまでもがステロタイプ……。
 ちょっとだけムッとしそうになったけど、ダメダメ。お仕事中は笑顔を忘れない。ここは、我ながら巧みな顔面操作でとびっきりの作り笑いをしてみせる。
 そっちこそ何、言ってるのよ。織部くんのほうが先だったわよ。
 だいたいカウンターには他に職員がいる。混んでいるわけでもないのに、なんでわざわざこっちに来たの。困ったな。

 ふいに織部くんは、黙って本をひっこめた。
 わたしがあせって織部くんを見上げると、彼はそのまま隣の職員のところへ行ってしまった。
 ええっ、嘘。嘘。どうして?
 隣だから1メートルも離れているわけじゃない。それでも織部くんの本をわたしがちゃんと手続きできなかったことは、ものすごくショックだ。
 ってか、他の女性職員たちも、織部くんのこと気に入ってるんだもの。
 神様って本当にいるのかしら……。
 豹柄トレーナーの上沼さんがやたらと急かしてくるけど、愛想笑いもできなくなってしまった。
 さっきは失敗しちゃったから、今度はカウンター業務をきちんとこなそうと思っていたのに。
 もっともバーコードを読み取るだけのことなんだけど以前に織部くんは、わたしのそんな仕事中の姿をいいと言ってくれたのだ。

 隣で織部くんの低い声が聞こえる。
 応対しているのは、同期の伊万里だ。
 なんだ。なんだ。伊万里ってば、何を笑ってるの?
 あの無口で無愛想な織部くんだよ?
 本の貸し出しぐらいで、そんな笑える話題でもあったわけ?
 なんだか猛烈に妬けてしまう。こんなことぐらいで……とか思うけど。
 本のバーコードを読み取りながら、ちらちらと様子を伺っていると、織部くんと眼が合ってしまった。どうやら、笑顔なのは伊万里だけみたい。
 うっすらと細めた眼がなんとなく怒っているような気がする。
 なんでそんなに、怖い顔するのよ。
 いや、彼のあの顔は、もともとだ。別に怒っちゃないはず……なんだけど……たぶん。
 わたしは、本当に泣きたくなった。
 返却日の説明もそこそこに、わたしは上沼さんに本を渡した。
 韓流ドラマのDVDはないのかと聞かれたが、あいにく最新のものはない。ひとしきり苦情をいわれた後に今度は、手提げ袋を貸して欲しいといいだす。
 図書館には“貸出バック”というものなんだけど、この方、前に持って帰ったものも返してくれてないのよ。
 バッグは数に限りがあるんです。ちゃんと返してくださいね。
 なんて説明をしたら、また怒られた。
 逆ギレか……。

 仕方ない。もうよけいなことはいわず、三冊の文庫本を図書館のロゴ入りのバックに入れる。
 上沼さんが意気揚々と帰っていくころには、もう織部くんはいなかった。
 こんなことは、たまにあることなのだ。もっと、くどくど怒りだす利用者もいるくらい。
 織部くんは、大きな声を出して文句をいうことなんてないけど、いつも厳しい顔をする。
 わたしの失敗を笑って許してくれたことなんか一度もない。
 もっとも、上司に叱られる前にさりげなく教えてくれるのだから、本当はとても感謝している。
 でも、正直いって上司よりも、ちょっとキツイ言い方をする年配の利用者の人よりも、織部くんにあんな顔をされるのがいちばん辛い。
 もう……本当に泣きそう。



 彼が帰った後、わたしは織部くんが借り出ししたのと同じ洋書を手に取った。
 和書と違って洋書は紙質が悪い。
 ペラペラとめくってみたが、さっぱり判らなかった。
 本の背に貼ってあるラベルを読み取って、OPAC(オンライン蔵書目録)で検索する。
 ラテン語の教科書だった。
 英語で、ラテン語を読むのか。……いやな高校生だな。

 そういえば、彼は寮生で、そこの寮長もやっているらしい。
 成績は、きっと優秀なんだろうな。
 あんまり学校のことを聞くと、ますます差が広がりそうで、あんまり詳しくは知らないんだけど。
 デート代は彼持ちだし、きっとバイトもしてるはず。高校生におごってもらう社会人って、我ながら最低な女。本当は、わたしがきちんとすべきなのに、押し切られると弱い。
 年齢だけじゃなくて、すべての面で彼との間に差を感じる。
 わたしは、この大好きな仕事でさえ失敗ばかりなのに……落ち込む。

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