「逃げるな、優衣」
 彼はわたしの腕をつかんで引き寄せる。わたしは顔面から彼の胸にぶつかってしまう。
 それは、困る。
 こんなことしたら、彼の制服にファンデーションがついちゃう。
 でも、本当は……その、なんていうか……そのすごく嬉しんだけど。

「やだ、織部くん!」
 腕を突っ張って少しでも離れようとすると織部くんは、力任せにわたしを抱きしめた。
 こんな強引なところも好きだけど、今はちょっと困る。
 制服にファンデーションの油分が付いたら、なかなか落ちないのよ。

「織部くん、場所を考えてよ。ここ」
「公園のベンチだ」
 そうよ。公園だよ。
 夜は人通りも少ないって、まったくないわけじゃない。室内じゃない。あくまで“お外”なんだから!
「人目があるんだから、少しは……」
「もう暗い」

 いや、いやいや。いや。それは確かにそうなんだけど。だからって、まったく見えないわけじゃないでしょ。
 夜の公園は、暗いとはいえ外灯だってある。
 そもそも、あなたのその制服は、けっこう目立つのよ。気がついてないのかもしれないけど。
 この人ってば、場所とか立場とか、そういうことに頓着しない。
 わたしたちが、こうして会えるのは、本当に限られた時間と場所しかない。
 もし、人に知られたら……お終いだ。
 それを理解していながらわたしは、どうして動けないでいるのだろう。



「誰が見てるか判らないよ」
「神経質すぎるぞ。馬鹿」
 織部くんは、片手でわたしの手首を掴みあげた。

「馬鹿馬鹿って、そんなに言われたら、本当に自分が馬鹿に思えてきそうよ」
 そんな抗議など聞く様子もなく空いたほうの手で、わたしの顎をつまんで顔を近づける。
 やだ。近い。近すぎるよ。
 なんで、男の彼のほうが肌もつるつるでキレイなの。髭……は、ほとんどない。夜になったら、髭が伸びてくるもんじゃないの?
 あ、うちのお父さんと一緒にしちゃダメか。
 若さの特権かしら……どうしよう。そんなこと考えていたら滅入ってきた。
 ニキビ痕すら見当たらないなんて、こんなの不公平だわ。
 彼くらいの年頃の男の子なら、潰したニキビのひとつやふたつくらいあるんじゃないの。
 そんなことを言ってる場合じゃない。ますます、織部くんが近い。

「織部くん。ちょっと!」
 まずいってば、わたしは焦って彼に訴える。
 訴えたところで、わたしの話を聞く人ではないのは判っているけど、それでも言わずにいられない。
「わたしが性犯罪者として、警察に捕まってもいいの」
「捕まるなら、俺の方だろう。お前を拘束して無理やりキスしようとしている」
「事実がそうでも世間は、そうは見ないって、き、きすぅうぅ?」
 声が裏返った。
 ちょっと待ってください。ここ、どこだと思ってるの。本当は判ってないんでしょ?
 冷静になろう。とりあえず話し合いから始めよう。

「人目をはばかるなら、騒ぐな」
「そん、……んっ」
 言葉通り彼は、有無を言わさず唇を押しつけてくる。
 わたしは目を見開いたまま、硬直した。
 いきなりすぎる。
 話し合いの余地などない。
 息がつまってわたしは暴れた。彼のつかんだ手がわずかに緩む。
「んんんっ……ん!!!」

 もう、無理。勘弁してください。窒息しそう。
 もがくわたしから、唇を離して彼が少しかすれた声で言う。
「キスをする時に喋るやつがあるか。目は閉じておけ。口は開けてもいいが」
「だから、織部くん、ダメだって言って、ぶっ」
 それ以上、わたしは何も言えない。
 唇を強く吸われて、彼のビロードみたいな舌がぬるっと入り込んできた。
 それが歯列をなぞっていく。
 口を開けなさいってことらしい。
 じつは、初めて彼に教えてもらったキス。
 恥ずかしいんだけど、ちょっとだけ口を開いてしまう。
 すると、そのまま舌が絡まり吸われる。
 情緒も何もあったもんじゃない。
 今度は後頭部がしっかり抱えられてしまう。暴れないように彼の腕でがっちり固定されている。
 抱きしめるのも乱暴だけど、キスだって、かなり乱暴だ。
 舌の根っこが痛くなるくらい。
 こんな時、やっぱりこの人は高校生なのだなと、思う。
 だけど、わたしは、彼の乱暴すぎるキスに酔わされてしまう。
 頭の芯がぼんやりとしてしまう。
 うっとりと……としていたのかもしれない。体中のすみずみまで、広がっていく痺れるような感覚。
 冷静な判断などできない。
 止めなくちゃ……そう思うそばから、わたしは、彼を求めている。
 仕事を失うことも怖くはない。
 彼がいるなら、周囲からどんな目で見られてもいい。
 でも、彼がいないとわたしは、 もうダメなのだ。









 わたしが、いちばん怖いこと……それは、高校生の彼に飽きられてしまうこと。
 こんな余裕のないキスも、やっぱり彼が高校生だからかもしれない。
 いつか、彼がわたし以外の違う誰かを見てしまう日がくるのかもしれない。
 こんな年上の、やぼったい司書なんかじゃなくて……。
 それが一年先か、二年先か。



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