【一部、暴力的・グロテスクな描写があります】

 願う?
 今も願っている。
 あたしは元に戻りたかった。元通りの家族に……。
 そして、イリアに逢いたかった。

 何が違うの?
 何が足りないの?
 もう、さっぱり判らない。
 イエス様、仏様、おシャカ様……えっと、他にどんな神様がいたっけ?

「新約聖書マタイ福音書七章にあるイエスの言葉よ。知らないの」
「え、イエス様にお願いするの?」
 どういう意味だっけ?
 ひたすら神に祈りることで、救いを求めよってことだっけ。
 それとも迷わず積極的に行けってことなの。
 何がなんだかさっぱり判らない。
「ムリですって、開かない」
「無理だのダメだの……勝手な思い込みは捨てなさい。今すぐよ。いやなら、あなたこのままでいるしかないわ」



 このまま……。
 今のこの状況が変わらないままなの。
 周囲に振り回されて、自分ではどうすることもできない。
 なんで、こんなことになるの。
 あたしは、愛されたかった。
 ただ、それだけだったのに……。



 突然、後ろに立っていた鞠尾が杏珠を抱きすくめてきた。
 すさまじい力に息が詰まる。肋骨が砕けそうだ。
「ま、鞠尾さん。何を、くっう!」
 杏珠は、のけぞって呻いた。胸をわしづかみにされたのだ。
 鞠尾は、絞り上げるように胸をつかんだまま杏珠の耳に舌を這わせる。じゅるっとものすごい音が響いてくる。
 夢中で手足をばたつかせて暴れるが、びくともしない。
 もげそうなほど乳房を揉みしだく鞠尾のごつい手が離されたかと思うと、今度はシャツの襟に手をかけ、一気に引き裂かれた。
 ボタンが千切れ飛び、シャツの前身ごろがはだける。とっさに胸を守るように隠そうとしたが、強引にブラをずり下ろされて乳房がむき出しになった。
「いやっ、いやだあぁぁあっ!!!」
 杏珠は、泣きながら鞠尾の腕に爪を立て、噛みついた。
 硬い剛毛の生えた掌が、杏珠の胸を乱暴に撫でまわす。

「止めてよ。鞠尾さん、鞠尾さん。正気に戻ってよ。こんなの変だよ!!」
 鞠尾は、噛まれてようと殴られようと、まったく平然としている。
 乳房をこね回され、先端を摘ままれた。
 衣蕗に傷つけられた柔らかい部分が痛い。杏珠は、悲鳴を上げる。
「いやっ、やめてぇ!」
 つかまれた腕を杏珠は、死にもの狂いで殴った。それでも、鞠尾には虫が刺したほどにも感じないのだろうか。
 杏珠のジーンズのボタンが引きちぎるように外され、ジッパーが割られる。
 ジーンズごと下着が膝まで下ろされ完全に杏珠は、パニックに陥った。狂気のように叫ぶ。
 美術館の庭園のはずなのに、これほど大声で叫んでも、未だに助けが来ない。
 それどころか、杏珠の身体を弄る手が二本だけではないことに気づく。
 肌を這う気味の悪い感触。
 それは、あちらこちらから伸びてきた幾つもの黒い手だった。
 悲鳴を上げる唇が奪われる。
 背後の鞠尾ではない。
 目の前にある黒く光るブロンズの顔だ。
 日光で温められたぬるい硬質な青銅が、まるで生きているように、杏珠の唇に舌を這わせくちづける。
 もはや唇だけではない。頬や、髪を無数の手が、指が絡みつく。
 逃れようと暴れる腕と足はつかまれ、もはや身動きもできない。
 脱がされかけていた衣服は、むしり取られていた。そうしている間にも、数々の手が、唇が、杏珠の全身を犯していく。
 あまりにも不気味な愛撫に、総毛立った。
 声をあげることもできず、咽喉は干からびて、からからになる。
 両目に涙が滲んだ。



「よかったわねぇ……杏珠ちゃんの願いが叶ったわ」
 背後から、鞠尾が囁く。
「皆が愛してくれるわ。これで空っぽの心も満たされることでしょうね」
「ちが……違う!」
 顔をそむけながら杏珠は、溺れる人が空気を求めるように必死で顔をのけぞらせた。
 そうしなければ、目の前のブロンズ像たちの舌と唇が、あるいは手が触れ、撫でまわすのだ。
 おぞましい感触から逃れようともがくが、もはや手足は拘束され、自由になるのは首から上だけである。
 硬く滑らかな金属は、まるで生きているかのように肌の上を這いまわった。
 ブロンズたちは、まるで笑っているようにくぐもった声で何かを繰り返し呟いている。



 ナリソコナイが帰ってきたよ。
 生ミ損ナイの子だよ。
 不具の子だ。
 哀レな子だね。
 カワイソウに……カワイソウな子。
 淫ラな子。



 奇妙な呟きは、杏珠の耳に注ぎ込まれていく。
 身体をまさぐられながら、遠い潮騒のようにその声を聴いていた。
 声は同情的でありながら、無数の手は、決して優しくも甘くもない。
 惨めさと悔しさに杏珠は、泣きながら救いを求める。
 誰か助けて!
 どうしてあたしだけがこんな目に遭うの。
 あたしが何をしたっていうの!
 こんな酷いことばかり続くなら、もう死んだ方がましだ。

 このままイリアにも逢えず、よってたかって、弄ばれて穢されてしまうくらいなら。
 いっそ……!



 死ニたいんだって。
 それなら、死ナセテあげなきゃ……。
 主と同ジがいいんだってね。
 そうだ。主と同ジにしよう。
 殺シテあげようね。
 ゆっくり時間をかけて?
 まず、顔を焼いて……右手もだ。
 その前に、手足の爪ヲ剥いで。
 焼けた皮膚は剥ぎ取って、筋肉を抉ッテしまわないと、同ジにならナい。
 傷口には、鉛と硫黄を流し込ムよ。
 四肢は引き抜いてしまわないとイケナイ。
 先に、性器を引き千切ろう。



 いくつもの手と唇が囁き合う。
 その言葉の恐ろしさに杏珠は、震えあがった。
 全身から汗が噴き出す。

 心臓を引きダすのは最後ダ。
 途中で、心臓を貫いたら死んでシマう。
 ちゃんと意識は最後まで保っていないと、主と同ジにならないね。
 最初は何から?
 主と同ジ。
 同ジにしよう。
 最初は、顔を焼こう。



 愛撫するかのようだった金属の手が、それぞれに違う目的を持った。動きに変化が起こる。
 ナメクジが這うようだった唇は、引っ込み、代わりに首や手足が締め上げられた。
 大きく手足が開かれていく。磔にされるのか。
 その間にも、くぐもった声たちは、呟き続けている。
 今から何をどうしようというのか。拷問の内容をブロンズの彫刻たちは、細やかに説明しながら、切るべき場所に指先で印をつけていく。
 顔は、額から頬へななめに、それから肩口。腕と足……股間にいたるまで、指が何かを記しているのが判る。

 ――焼くのは、鏝で、ゆっくりと……。眼は潰さないデ。

 狂ってしまいそうなほどの恐怖。
 それでも、狂うことも気を失うこともできない。さらなる恐怖を増していく。
 こんなことあり得ない。
 現実ではないのだ。
 夢を見ているだけだ……そう思うそばから、どこからか、真っ赤に焼けた鏝が差し出された。
 近づくだけで、その熱が伝わってくる。
 その空気が、これは現実だと証明するのだ。
 背筋が冷たくなる。呼吸ができているのかどうかさえ、もはや、判らない。
 脳裏に浮かぶのは、父でも母でもなく、イリアの姿だった。
 半分は美しいままで……もう半分は……。

「いゃぁぁぁあっ!!!!」

In spiritu et veritate.
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