目が覚めるとベッドの上にいた。
 頭の中は、ぼんやりとしている。痺れたように手足が動かせない。
 ……夢だったのか。
 自分の意志とは、関係なく涙が溢れた。



「また泣くの」
 ふいに上から、衣蕗の声が聞こえた。
「本当に泣き虫ね。お姉ちゃん」
 ――お姉ちゃん。
 その言葉に杏珠は、鼻の奥がつんと熱くなるのを感じた。
 やっぱり夢だ。
 夢だったんだわ。どうして、あんな夢を見たんだろう。
 そう思った時、自分が裸であることに気がついた。
 あわてて起き上がろうとして目が回る。
 頭を抱えながら、ゆっくりと上半身を起こすと胸元までかけられたシーツが滑り落ちた。
 下着一枚つけていない裸の身体が露わになる。
 首から胸にかけて生々しい鬱血の痕と噛み傷があった。
 あわてて杏珠は、シーツを引き寄せて胸元を隠す。

「……な、ぜ……」
 声が出ない。
 咽喉が干からびて乾ききったようになっていた。
 あれは、夢ではなかったのか。
 気が遠くなりそうだった。
 これが現実だとは、まだ信じられない。

「お風呂場で失神しちゃったのよ。湯あたりしたのかしら。それとも男のニオイに酔った?」
 杏珠とは対照的にきっちりと化粧をした顔に衣蕗は、微笑みを広げる。それなのに、表情に活気はなく眼差しは暗い。
 周囲を見渡して迦陵がいないことを確認する。――大丈夫。衣蕗だけだ。
「水、飲む? お母さんが起きたらすぐに飲ませるようにって」
 ミネラルウォターの入った小さなペットボトルを手渡された。
 蓋を開けようとしたが、手が震えて上手くできない。
 気持ちは焦っているのに、まるで力が入らなかった。
 それを見て衣蕗は、ペットボトルを杏珠の手の上から押さえて軽く捻る。蓋は簡単に開いた。
 砂漠で水をもらった人のように杏珠は一息に半分ほども飲んだ。冷えた水が咽喉から胃に落ちる。

「お母さんたちが帰ってきてしまったから、続きはまた今度ね」
 衣蕗は、そう言って立ち上がった。
「待って!」
 あせって杏珠は、衣蕗の手をつかむ。
 迦陵がいない今こそ、衣蕗と話ができるチャンスだった。
「なぁに?」
 衣蕗は、笑いを含んだ眼差しを杏珠に投げる。杏珠の中で緊張が高まった。
「……い、衣蕗は、あたしを……なぜ、そんなにあたしのことを嫌うの」
「嫌う? とんでもないわ。言ったでしょ? わたしたちを魅了しているのは、お姉ちゃんよ」
「…………そうじゃなくて……」
「お姉ちゃんがわたしたちに、こうさせるのよ」
 もう一度衣蕗は、ベッドに腰を下ろした。
 後ずさりしたい気持ちをこらえて、シーツを身体に巻き付ける。
 覗きこむようにして杏珠の頬に衣蕗は、顔を近づけてきた。
「くふふっ、また虐めてほしいって顔してるわね」
 そむけようとする姉の顎を捕え、有無を言わせず唇を奪う。
「くぅ、……んっ!」
 もがいて逃れようとする杏珠の上に、柔らかな女の身体がのしかかる。  衣蕗は、なおも深くくちづけした。
 唇を割り、ぬめった細い舌が、食いしばる歯列をチロチロと舐める。
 そうしながら衣蕗は、胸の上で巻き付けたシーツを引きずりおろした。口づけの痕が残る乳房がこぼれる。
 揺すりたてるようにして乳房が揉みしだかれ、傷になった先端に爪がぎりっと食い込む。
「んっ……ん!!!」
 必死で衣蕗を押しのけて杏珠は、胸をかばった。
 傷つけられた部分は、敏感な部分だけに熱がこもるような痛みで疼く。
 引きちぎられるのではないかと、恐怖を感じたほどだ。
 心臓の音がただごとではない。
 呼吸がひどく苦しくて、目の前がぐるぐると回っている。

 にじんだ口紅を指先で拭きながら衣蕗は、満足げに笑う。
「いいわ。その顔が好きよ。アンジュ……背骨のないお人形にしては、なかなかのものだわ」
「嫌がらせのためだけに、こんなことするの」
「そんなはずないわ。愛してるからよ。杏珠のすべてが欲しいぐらいよ」
 衣蕗は、杏珠を見据えて言った。
 まっすぐにこちらを見るその眸には、以前に出逢ったことがある。
 闇に溶け込みそうな暗い双眸……。
 あの人と同じだ。

「教えてよ。イリアはどこにいるの」
「前言撤回。やっぱり大嫌いだわ」
 衣蕗は、吐き出すように叫ぶ。
 また平手がくるのではないかと、警戒しながら、杏珠は続けた。
「衣蕗とイリアは、どういう関係なのよ」
「教えてあげないわ。背骨のないお人形には」
「あたしは、人形なんかじゃない」
「くふふっ……背骨がないことは否定しないわけね。残念だわ。人がいなければ、もっと可愛がってあげられたのに」
 人がいなければ……。
 それは、リビングにいる両親のことを言うのだろうか。
 衣蕗にとって家族など意味のないものになってしまっている。
「待ってて、いずれ男には判らない愉しみ方を教えてあげるわ」



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