そう思った時、イリアの指に力がこもった。
 息が止まる。
 貫かれた痛みの息苦しさなどとは、まったく違う。
 気管がふさがれ、動脈が圧迫される。
「望むなら、殺してやる」
 イリアは、ゆっくりと杏珠の首をさらに締め上げる。
 苦しい。喉が焼けるよう。目じりを伝う涙までが熱い。
 視界がぼやける。
 無意識のうちに、イリアの指をほどこうと、両手をさまよわせた。
 口が開き、舌が痙攣する。唾液が唇の端から溢れた。
 初めて“死”を近くに感じる。
 違う。死にたくはない。
 イリアと一緒にいたいだけ。
 そう叫びたかった。
 イリアのそばにいたい。
 その美しい顔が、どれほど恐ろしかろうと構わない。
 愛してくれるなら、もし本当に愛してくれるというなら、他には何も望まない。





 だから、だから、神様。お願いです。
 この人をあたしにください。
 どんなことでも耐えてみせるから……。





 杏珠の首を絞めながらイリアは、その唇にくちづけをする。
 深く舌を差し入れ、呼吸を許さない。
 同時に腰が突き上げられて、いっそう深くつながる。
 鈍い痛みと息苦しさと、朦朧とする意識の中で杏珠は、なおもイリアを求めた。
 肌が触れ合う部分だけが、温もりを持つ。
 両手で彼の背中をかき抱く。大きくて広い背。どんなに手を伸ばしても腕は回りきらない。……だから、この手でイリアを抱きしめることは叶わないのかもしれない。
 深いくちづけ。
 強く吸われ舌が絡まる。唾液に苦味が混じる。これは彼の傷の味だろうか……頭がぼおっとして、痛みも苦しみもどこか遠いところにあるような気がした。
 瞼の裏にいくつもの閃光が見える。

 ふいにイリアは、杏珠を放した。
「はっ……は、……かふっ、はあっ!」
 突然、呼吸が自由になると、喉がひゅうひゅうと音を立てる。
 冷たい空気が、喉から全身に広がって、染み込んでいくような気がした。
 咳き込む杏珠の中からイリアは、出ていく。
 それを寂しがるように内側はひくつく。どうしようもないほどの喪失感。
 息をするだけで、精一杯なのだ。指一本動かせない



「苦しいだろう。地獄はもっと苦しいぞ」
 イリアは、ひどく冷静だった。
 だが、杏珠が聞きたいのは、そんな言葉ではない。
 愛していると言ってほしかった。
 いつかのように、お前だけが欲しいと……。
 イリアの心が判らない。
 小さな子供のように、泣いてすがって、駄々をこねれば、望むものをイリアはくれるのか。
 どうすれば、彼との心の隔たりを埋めることができるのだろう。
 胸の底がじりじりと焦げるような気がした。

「イリアと……一緒にいられるなら、……平気だもの」
 息も絶え絶えになりながら杏珠は、かすれた声で言った。
 どんな恐ろしいことになっても、何があろうとも、イリアのそばにいたい。
 それしか、考えられなかった。
 イリアの心を手に入れられるのなら、どんなことでもしてみせる。
 杏珠の言葉にイリアは、うつろな笑みを返した。
「お前が俺といたいと思うのは、今の現実から逃れたいだけだ」

 心臓をつかみあげられるような思いがした。
 逃げたいだけ……?
 違う。
 違うよ。イリア。
 あたし、あなたが好きなの。死にたいくらい好きなのに……。
 それが逃げるってことなの。
 どうして……。
 だって、イリアはあたしにたくさんくれたじゃない。
 優しくしてくれた。
 愛してくれた。
 抱きしめてくれた。
 涙を唇で拭ってくれた。……ついでに鼻水まで啜るなんて、それは、ちょっと異常だと思うけど。
 あたしだって、イリアにしてあげたかった。
 もらったもの全部、イリアにもあげたいと思った。



「たとえ、地獄の底まで逃げても、お前はお前でしかない。何も変わらん」
 そう言いながらイリアは、杏珠の髪を一房つかんだ。
 強い力ではなかったが、ただそれだけのことに泣けてしまう。
 ぎりぎりまで我慢していたものが、堰を切ったように涙が溢れて止まらない。
 イリアは……本当に意地悪だ。
 あたしの心を、あたし自身よりよく知っているくせに……。





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