「……どう、して……」
 杏珠は、手を伸ばして包帯を巻いたイリアの顔に触れた。
 きつい隻眼に見下ろされると、口をきくことすらためらわれる。
 怯みそうになりながら、それでも言わずにはいられない。
「いつも……置いて行くの」
 こらえていた涙がこぼれた。
 泣いちゃだめだ。
 感情に流されているだけだなんて、子供だなんて思われたくない。
 杏珠は、深く息を吸い込んだ。

「貴方が行くなら、あたしも、あたしも一緒に行く」
 まっすぐにイリアを見つめると、深い影を宿したその暗い目に獲りこめられるような錯覚を覚える。
 呪縛された獲物のように、一瞬たりとその隻眼から目を離すことなどできない。
 この人が炎なら、この身体を焼きつくしてほしい。
 奪って、連れ去って。
 もうどこへも帰るところなどなった。
 自分の居場所などなかった。家も職場も。
 誰にも必要とされない。
 愛されない。望まれない。
 この人だけが……。
 イリアがいてくれたら、もう何もいらない。



「どうかお願い。あたしを連れて行って」
 ここでないどこかへ……。
 そう言いかけたとき、冷たい手が、彼の頬に触れている杏珠の手を解く。
「お前を連れては行けぬな」
 そう言いながらイリアは、杏珠の喉を指先で撫で上げた。
 思いがけない拒絶に、目の前が暗くなる。
 それでも、撫でられる指先があんまり気持ちよくて、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らしてしまいそう。
 うっとりと、首をのけぞらせると、冷たい唇の感触がくる。
 唇の触れた部分が、ピリッと痛む。
 彼の犬歯があたったのかも、それともわざと噛んだのか。微かな甘い痛み。
 もっと傷つけてくれたらいいのに。他のことが考えられないくらい。
「……あなたの、邪魔にならないようにする、から……」

 胸がつぶれそうなほど苦しい。
 この人だけは、愛してくれているのだと思っていた。
 こらえていた涙が堰を切って溢れ出す。
 今まで、甘やかして優しくしてくれていた人が急に冷たくなったような、裏切られたような気がした。

「あたし……あたしは、イリアと一緒にいたい」
 つんと鼻の奥が痛くなる。涙をこらえていたせいで、目の裏が熱い。
 泣いてすがりたい。
 でも、そうしたらイリアは疎ましく思うだろうか。
 唇をかみしめる。泣いてはいけない。
 胸がもやもやと騒ぐ。喉もとに熱い塊が噴き上げてくる。そのままにしておけば、涙がこぼれてしまう。
 首筋が強く吸われた。くちづけの痕が刻み込まれるのが判る。
 イリアは、執拗な愛撫を繰り返す。
 強く抱きしめて、触れてほしいと思う……ここも、ここも……。そのすべてに、彼の唇と指先が触れる。
 彼は、自分自身よりもこの身体を、この心の底の、底まで知っていた。
 何もかも見通されてしまって隠し事などできるはずもない。

「なぜ、そう思う。この世のすべてがお前を拒絶したわけでもあるまい」
 ――すべてが?
 確かにそうかもしれない。
 すべての人たちに裏切られたわけではない。
 上司たちに売られたとしても、かばってくれた人たちがいた。
 弟に傷つけられても、両親たちは、変わらぬ愛情をくれたのだ。
 すべてを失ったわけではない。
 友達も家族もいる。みんな優しくしてくれた。
 でも、違う。それは違うのだ。
 いったい誰が真実、愛してくれたのだろう。
 大勢の中でいるのに、一人でいる淋しさを感じる。
 誰もいない。いなかった。誰が本当のあたしを判ってくれるというの。
 それを教えたのは、ほかでもないイリアだ。
 彼の愛情を感じるたびに、それ以上の想いが自分の中で大きくなっていった。
 この気持ちも、ただの幻想なのだろうか。



「イリアしかいらない。……一緒にいられるなら、なんでもする」
 もう二度と離れたくない。
 息を荒げながら、必死で訴える。
 こらえていた涙が溢れた。苦しい。こんなに近くにいるのに、胸が痛くて苦しい。
 愛されたい。誰よりも深く愛してほしい。
 そうしたら、その何十倍もの何百倍もの愛情で応えるのに。
 何もかも投げ出して尽くすのに。

「本気でそう言うのか」
 唇。頬。顎から喉、肩。そこかしこへくちづけしながらイリアは、乳房を揉みしだく。
「本気、よ……」
 指が乳首をつまみ上げ、痛いほど引っ張られ卑猥に形を変える。彼の手の中で硬く尖った。そこを中心にして電流のような刺激が昇り、喉が詰まる。
 強く抱きしめられると、それだけで体の芯が痺れるようだった。

 まただ。
 いつもと同じことの繰り返しだ。このまま流されて溺れてしまえば、いつも放り出されて取り残されている。
 手袋を嵌めた手が、とじ合わせた大腿のあわいに差し込まれる。
 腿の内側に力を入れたが、そんなことでは、身体の中心へとくる手をとどめることはできない。
 イリアの手がより扇情的に動く。
「んっ、あ……!」
 人肌の温かみなどまるで感じさせない。手袋をしているのになお、冷たい指先が花芯を捕える。
 与えられる刺激に、震えが止まらない。
 喘ぎながら、それでも杏珠は言った。
「イリアのそ、……そばなら……どこでもいい」
 もう一方の手が膝裏をつかみ、ゆっくりと足が開かれる。恥ずかしさに抗おうとしたがすぐに力を抜いて、イリアにゆだねた。
 嫌われたくない。
 頬が火照る。それ以上にイリアの前に曝け出された部分が燃えるように熱い。
 氷のような冷たさが、蕩けきった蜜口をなぞった。
 濡れそぼった秘裂がほどけて、くぷっと水気の多い音が自分の中から聞こえた。
「……いやっ……あ……っ」
「いやなら、止めてもいいぞ」
 意地悪く言う彼に、ほとんど泣きだしてしまいそうになりながら、杏珠はあわてて答えた。
「あ。ち、違う……い……やじゃない……は、ずかしく……て……」
「これだけ濡らして、今さら恥ずかしいもないだろう」
 冷静過ぎる声。彼の言葉が真実であることも自分でよく判っていた。
 恥ずかしさに、ますます顔が熱くなる。
「……だ……だって……あたし、イリアが欲しいよ」
 こらえきれなくなって、涙が頬を伝う。
 彼の指が入ってくる。指の動きに合わせて、小さかった音がだんだん大きく淫猥なものに変わっていく。
 身体の奥が煮えたぎっているようだ。
 こね回されて粘った水音は、ますます耳に響く。

「ひぅっ!!」
 不意に包皮を剥かれ、硬く勃ち上がった肉芽に爪が食い込む。
 杏珠は、背をのけぞらせて、言葉にならない喘ぎを上げる。
 全身を津波のような衝撃が襲う。
「っあ……あ! っく……ぅ……っ」
 柔らかい粘膜を抉られるように押し広げられ、冷たいものが入ってくる。大きくはないが、角の尖った硬いものだ。
「んぁ、ああっ!」
 悲鳴をあげる杏珠に、なおもそれは深く挿し込まれる。じゃらっと、金属の触れ合う音がした。
 耐え難い異物感。
 口を開き、荒い呼吸を繰り返す。
「こ……怖い……イリア」
 今のイリアに、容赦はなかった。
 異物は入れたまま、突起を捩じりあげられる。
 敏感な部分なだけに、快感よりも痛みが上回った。
 かつての優しさはなく、激しく動かされる手に恐怖さえ感じて杏珠は泣きだしていた。
 泣いてはいけないと思うほど、涙は止まらない。
 苦しくて、どうしようもないのに、痺れるような震えが体の中を貫いていく。
 涙で曇った視界の中で、イリアの赤い隻眼だけがはっきりと見える。
 凝った血のような……冷たくて、恐ろしいのに、どこか切実で悲しい気がした。



「地獄でも、ついてくるか?」
 まっすぐに見据えるイリアは、唇の端をわずかにつりあげて笑った。
 杏珠は、それでも泣きながら何度もうなずいた。
“地獄”という言葉が昏い陽炎かぎろいのように、彼の周りに漂う。





inserted by FC2 system