「……や、止めて、だって……」
 ここは病院の中だ。いつ誰が入ってくるか判らない。
 薄暗い廊下の奥にあった見知らぬ診察室。公共の場所であることを忘れそうになる。
 頭には靄が掛かり、どこまでも現実味がなかった。
 まるで夢の中にいるようだ。
「なぜだ。お前は今、初めてこの俺を欲したのではないのか」
 はっきりとした低い声音が、杏珠の耳を打った。
 今のイリアはひどく冷静で、切羽詰まった自分との距離を感じさせられる。杏珠は自分がよりいっそう惨めに思えた。
 それが事実であったからだ。
 体の奥から迸る熱情に侵されて、杏珠は大腿を摺り寄せる。
 苦しかった。
 暗い炎に焦がされ、内側から干し上げられ、身悶えするほどの渇きを感じる。

 触れているだけだった硬い指先が、ゆっくりと蠢いた。
 イリアの手の中で乳房は、いびつに形をかえる。
 下からすくうように揺すり、てのひら全体で握りつぶさんばかりに揉みしだく。
 同時に頂点の突起を指の腹でさする。
「んっ……んくっ……」
 声をかみ殺しながら、杏珠は唇をかんだ。
 痺れるような快感が、触れられた部分から広がっていく。
 イリアは、さらにつねるようにして、その部分をピンと弾いた。
 声を出してはいけない。病院内で防音されているわけがないのだ。
 いや、それよりもこの男に心の底を知られたくない。自分が今、この瞬間にどれほど彼を欲しがっているか。気取られてはならない。
 だが、それが虚しい抵抗に過ぎないことも判っていた。
 快感の波は杏珠の中へと侵食し全身を痺れさせる。
 切なさと苦しさでうつむいて、唇を切れそうなほど噛む。

「声を出せ。そのほうが楽になる」
 イリアが見透かしたように耳元で囁く。
 吐息さえも杏珠には、とてつもない責め苦だった。
 ぶるぶると震えながら、泣くまいと眼をつむる。
 耳朶を甘く噛み、親指の爪先で、擦りたてられて固く尖った乳首を引っ掻く。
 快感が体中のそこかしこで爆ぜて、耐えていた涙がこぼれ落ちる。
「んぁっ……!」
 胸の先端をつまみ上げられ、こね回された。
 耳の奥に熱い舌がねじ込まれて、杏珠の腰と爪先が浮き上がる。
 身体に力が入らない。しびれるような陶酔が波のように押し寄せる。
 イリアの手がスカートの裾から忍び込み、大腿をそっとなぞった。

「や、やだ……よ。止めて……」
「お前が言うなら止めもしようが。本当にそうしてもよいのか」
 まるで焦らすように、大きな掌が大腿を這う。
 わずかに身悶えするものの、まるで形だけの抵抗に過ぎない。
「は……ぁ……」
 やるせないため息がもれると、イリアは意地悪く哂う。
 下着は、すでに用をなさないほど濡れている。
「止めてもよいのかと、聞いている」
「……いゃ……ぅ」
 指で悪戯するようにそっと触れるが、もどかしいところで届かない。
 布越しでも、はっきりと形が判ってしまうほどそこは濡れそぼっているだろう。
 わざと焦らしている。
 そうとしか思えないほど、ゆるゆるとした指の動き。弱い刺激を繰り返される。
 静かな指の動き。胸の鼓動がただことではない。胸を突き破って心臓が飛び出してしまいそうだった。
 イリアは革張りの肘つき椅子に座り、杏珠を自分の膝の上に乗せる。
「いやか。では、止めてやろう」
 抵抗できず、ただ唇を噛み締める杏珠にイリアは、ほのかに笑った。
「……ち、違っ……」
 まるで興味の失せた人形のように放り出されるのではないかと、杏珠は焦った。
 彼に見捨てられたら……。
 恐ろしい想像に杏珠は、必死に目の前の手にしがみついていた。
 もはや意地も矜持もない。

「放さないで、お願い。お願いだから」
 白衣をつかんで、そこに顔を押しつける。
 イリアの厚い胸も匂いも、僧服キャソックを着ていたときと変わらない。
「本当は好きなの。イリアが、す……き。でも……あたし。あた、し……っ。ふっ、ひっく」
 もはや自分でも何を言っているのか判らない。
 本来なら、もっとロマンティックな状況の中でするはずの告白さえ、間抜けた言葉になっている。
 惨めで情けなくって、涙が止まらない。
 恥ずかしさで、もうまともに彼の顔を見ることなんてできなかった。



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