記憶が一瞬、途切れたように感じたのは、気のせいではないかもしれない。
 神父の手に狂おしい極みに押し上げられ、深くくらい場所へ呑み込まれてしまいそうだった。
 なんなの。これ……。
 まさかと思うけど“イク”ってあれなのか。
 聞いたことはあるけど、あれってごく一部の人だけのものじゃないの?
 そっち系の人とか?
 つまり、一般人には縁のない感覚であって……。
 まだ、身体は痙攣している。なんだか、自分がとてつもないインランになったような気がする。



 二つ折りにされそうなほど、持ち上げられていた身体を神父はベッドの上にゆっくりと下ろした。そのまま、のしかかるようにして杏珠の顔を覗きこんでくる。
 やだ。こんな顔見られたくない。
 この男に自分でも見たことのないような部分を見られた事実は、このさい考えないことにする。そうしないと生きていけない。
 涙と涎にまみれた顔のまま必死で首を振る。
 その顔の左右に肘をついて、神父は腕の中に抱き込んでしまう。
「本当に……お前は可愛いな」

 どこが……?
 それだけは冷静に言える。どこがどう可愛かったというのだ。
 どんな状況にあっても女というのは、自己愛の激しい生き物だ。どうしたら、少しでも可愛く奇麗に見てもらえるかを常に考えている。
 ほとんど強制的に、達してしまった姿のどこが可愛かったというのか。
 追い詰められて杏珠は、泣き出していた。
 あんまりだ。自分だけきちんと服を着たままで、ここまですることないじゃないか。
 お互いの気持ちが通じ合って、二人で一緒にする行為だ。そこから愛情が生まれる場合もあるかもしれない。
 だが、一方的では意味がない。
 こんなのひどすぎる。
 そう怒鳴ってやりたかったが、今は泣くより他に何もできなかった。たがの外れた感情はとどまりそうもない。

「ひどいのはお前だろう」
 声に出したわけでもないのに神父は、杏珠の考えを読み取ったようなことを言う。
「お前は、この俺を……」
 神父は、自分のことを父だと言った。
 もし真実、彼が父ならばあまりにも若すぎる。
 彼の遺伝子を母がもらって体外受精したとしても、人種が違う。
 ……というより、あたしはカンペキな父親似の純和風の丸顔なのに。
 弟と妹は母親似で、わりといい顔立ちなんだけど……。だから、妹に彼氏とれちゃったのかも。



 杏珠の思考が動きだすのを察したのか。神父は、止めた手を動かし始めた。身体の奥から熱いものがどくどくと溢れてくるのが判った。
「……ん!……くぅんぁっ……」
 今、自分が何をされているのかさえ、理解できない。痛いのか気持ちいいのか。ただ、神父に触れられるところが甘く痺れるようだ。
 神父の責め方は激しい。
 容赦のない冷たい唇と指先で身体の中心が開かれる。
 まるで自分の内臓が暴かれたようなそんな感覚。何度されても慣れない。快感より怖さのほうが大きい。
「や……やだよ。そんなとこ、舐めないで……や……ぅあ……」
 開ききった襞の中に舌が差し込まれ、かき出される。
 じゅるっと耳を塞ぎたくなるような音をたてて吸われた。
 絶対にわざとやってる……。なんて性格の悪いやつなんだ。
 持ち上げられたままの腰が、がくがくする。
 恥ずかしくてたまらないのに、触れられるその部分が蕩けて熱い。
 強すぎる刺激に、しゃくりあげて泣いた。
「や……とぉさ……」
「この期におよんで父と呼ぶか。よい。今はイリアと呼ぶがいい」
 低い声は、不思議と優しくなったような気がする。
 彼の単なる妄想だとしても、父と呼ばれれば、少しは手加減してくれるのではないか。
 そんな甘えた気持ちが、ふと口をついた。
「とう……さ……ま?」
 杏珠は、繰り返した。そう言うと激しい愛撫がつかの間とはいえ、止むのだ。






「愛している」
 まるで痛みを堪えるように、イリアはささやく。
 こんなことをしておいて、何を今さら……と思った。
 殴ってやりたいくらい腹が立つのに彼の声は、胸が詰まりそうなほど切なげで、なんとも言えぬ物哀しい雰囲気がある。
 貪り食らう巨大な肉食獣みたいな男に、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
 イリアは、杏珠の髪を撫で、涙に濡れた頬や唇を指先でたどる。
 先ほどまでの嵐のように激しすぎる愛撫とは、まったく違う。
「お前は知らぬのだろう。俺がお前だけを見つめてきたことを……」
「ヴァチカンで逢ったのが初めてなんだけど」
 怒気を込めて、イリアを睨みつけた。
 この男には、杏珠を威圧しその気を萎えさせるほどの力があるのに、ともするとイリアはまるで訴えるように見つめる。
 決して優位に立つことなど、できようもないはずの相手の前で、なぜか強気にものを言うことができた。
「どんなことであれ物であれ、かつての俺には手に入らぬものはなかった。お前をのぞいては」
 狂おしげにかき口説くその言葉が、本心かどうかは判らない。
 ただ、もどかしく、やるせなかった。
 イリアの顔を見ていると、切なさに胸が苦しくなる。

「……嘘」
 思わず、杏珠は言った。
 なぜ、そんな簡単に言うことができるの。
 舌の上で飴を転がすように、愛という言葉を弄んでいるだけなのか。あるいは外国人は単なる社交辞令ぐらいにしか思わないのか。
 こんなに美しい男だから芝居のような言葉でさえも、真実のような気がするのかもしれない。現実離れした彼の口ぶりやしぐさ。触れる指先の冷たさ。それらすべてが……。
 もしかしたら本当にこの男は、夢の中の存在なのかもしれない。
 だが、腰や背中が痛みは現実のものだ。
 無理やり押し広げられていた股関節が、まだ痺れているみたいだった。
 死ぬほど恥ずかしい格好をさせておいて、こいつは鬼畜だ。
 抵抗をしない杏珠に、イリアは体重をかけないように両腕で支えながら、のしかかっている。
 筋肉質な男の胸は、まるで岩みたいに硬い。
 深く息を吸い込むと、まったりとした甘い樹木の香りがする。男の体臭と交じり合ったそれは、まるで催淫性があるように杏珠の心を解いていく。
 神秘的でセンシュアルな匂いは、どこかで嗅いだような懐かしさに囚われる。
 うっすらと眼を開けると、驚くほど間近に、金髪に縁取られた秀麗な顔があった。
 その顔は今にも泣きそうに眉に皴をよせて、きつい隻眼が潤んでいる。
 潤んだ暗い眸。まるで地獄の底を覗くように熱く、妖しいほどに恐ろしい。

「嘘よ。だって、知らない。あなたなんて」
「かまわん。お前が忘れても、俺はお前を愛している」
 豪華な黄金の髪が杏珠の頬にまつわる。金縛りのように体は動かず、唯一動かせる眼だけを見開くと、切なげな男の顔がいっそう近づく。
 これはいったい何の匂いなのだろう。とても懐かしい気がするのに思い出せない。
 白檀をもっと甘くしたような……。
「選び取られる運命の中から、俺はもっとも惨めな選択をしたのかもしれぬ……だが、それもよい」
 なめらかな浅黒い肌、鋭い目つき、細く高い鼻梁、物憂げな薄い唇。
 男のくせに、なんて奇麗な顔をしているんだろう。
 いや、奇麗というには、あまりに目つきが悪すぎる。ちょっと怖い。怖いのに、妙に惹きつけられる。まるで呪縛されるようだ。
 射止めるように見据えられて、杏珠は思わず息を呑む。
 頬寄せ、口づけられる。
 ついばむように、触れるような優しいくちづけを繰り返しながら、イリアは繰り返し、低い声で囁く。

 ──愛している。

 それだけで、胸の奥から込み上げる何かがあった。
 どこか暗い妖しい情趣、それとは正反対のなんとも言えぬ哀れっぽさに、惹きつけられている。
 もしかしたら、この男は勘違いをしているだけかもしれない。
 ただの人違いか。危ないパラノイアか。
 そう思っていても杏珠にはなんだか、この男がかわいそうな、気の毒なような、愛しいような……なんとも言えぬ複雑な気分になってくる。
 恋とは違う。
 ただ、彼の気に添うようにしてやりたい……とそんな風に思えてしまうのも事実だった。



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