お前が欲しい。
 今までそんな直情的な言葉をかけてくれる人がいただろうか。映画の恋人同士は、よくそんなことを言うが、現実には聞いたことがない。
 元カレに無理やり言わせようとしたことがあった。だが、その途方もない労力に疲れ切って二度とするまいと思ったものだ。
 その言葉ひとつで感動してしまう自分がいる。我ながらチョロイ。
 ダメだ。騙されてはいけない。
 外国人はみな、そんなふうに言う。イタリアのナンパ師なら、おなじみのセリフだ。
 初めて出逢った行きずりの男である。
 得体の知れない相手だ。もしかしたらイタリアンマフィアかもしれない。
 神父であることさえ疑わしいのだ。

 日本語で囁かれているから、こんなに気持ちが高ぶっている。
 まるで体中に電流が走ったかのように。
 これは、つり橋理論とか言うものだろうか。極限状態、または一時的な緊張状態による興奮が脳に錯覚させるのだという。
 もっとも錯覚から始まる恋愛は、持続しないらしい。
 旅先、それもはじめての海外旅行ではこんなことはよくあることだ。一夜かぎりのアバンチュール。
 まさか他人事だと思っていたことが、自分の身に降りかかってくるとは思わなかった。

 杏珠は、慌てて顔を背けた。
「イタリア人ってみんなそうなのね。口がうまいだけで」
 そう言うと、神父は声を上げて笑った。
 笑うんだ……この人。
 その事実のほうに気をとられて、油断した。
「俺は、口より先に手がでる質だが」
「何言って、ひゃん!!」
 耳を甘噛みされて、自分でも気恥ずかしくなるような声が出た。
 自分の馬鹿さ加減を呪いたくなる。
「お前は、ここが弱かったな」
 神父は、徹底的に耳を攻めてきた。
 吐息を吹き込みながら舌を差し入れる。ぞくぞくっとした感覚が指先まで伝わっていく。
「わっ、うわっうぅわわ……っ!」
「色気のない声を出すな」
「だって、くすぐったい。わははっ、はは……ちょっと、やめ」
「俺のそばにいると誓うか」
「だめだって、うはっ、はは、やだ。うひゃひゃひゃ!」
「誓うのか?」
「わはは、止めて、うきゃ、ぎゃははは!」

 もはや愛撫でもなんでもない。
 神父は執拗に身体をくすぐった。
 首筋、腋、腹、こそばゆいポイントを見事に外さず攻めてくる神父には蹂躙され、転がりまわって笑った。
 羞恥心も何もあったものではない。
 人をくすぐりながら神父は、真剣な顔をしている。冷静な時ならば馬鹿じゃないのかと思うが、今はそれどころではない。
 リネンは乱れてぐしゃぐしゃになる。子供みたいに暴れまくった。
「ち、誓う。誓うから、やっ、やめ。あはっはあ、ははっ!」



 神父の手が止まる。
 大笑いしすぎて、咽喉も枯れ果てた杏珠は、肩で息をしていた。
 腹筋が痛い。
 そういえば、江戸時代にはくすぐり責めという拷問があったらしい。今でもあるのか? もしかしたら、この男……サディストかもしれない。
 くすぐり死になんて聞いたことがないが、なんだか恥ずかしい死に方のような気がする。
 とんでもない男とかかわりになってしまった。とにかく逃げよう。
「杏珠、愛している……」
 唐突に言うなり神父は、抱きすくめてきた。
「ぎゃん!」
 情けない悲鳴が出た。
 相手は多少の乱れてはいるものの服を着ているが、こちらは素っ裸なのだ。
 いったい、この男は何を考えているのだろう。
 先ほどまでの色気の欠片もない雰囲気、大笑いしすぎて涙と涎が一緒になり、髪を振り乱した女をみて、どうしてその気になれるのか。
 神父の脳内のシナプスは、どんな構造をしているのだろう。
 この状況によく欲情できたものだ。やはり、変態なのか。
 抵抗する気力も体力も失せそうだが、おとなしくしている場合ではない。
 神父は、唇をむさぼる。
 強引なくちづけに杏珠は、両手をばたつかせた。
 足は神父の体に押さえ込まれて動かない。

「愛しているぞ」
 神父は、澄ました顔で言った。
 町を歩けば、通り過ぎる人が振り返るような美貌。
 逞しくしなやかな肢体。自信に満ちた不敵な態度。
 この神父なら、黙っていても女と言わず男さえも引き寄せるかもしれない。その嗜好に問題があろうとも悦んでついてくる者は、いくらでもいるはずなのに。
 どうして、あたしなんだ?

「そ、そ、それなら放してよ」
「なぜだ。思い出したのではなかったのか」
 そう言いながらも神父は、せわしなく手を動かすのを止めない。
 先ほどまでのようにくすぐるのではなく、耳の後ろやうなじ。敏感な部分を撫で上げる。手つきはエロ親爺だ。
「それは、……ちょっと!」
「安心しろ、今度は手加減するから大丈夫だ」
「て、手加減って何する気よ」
「こういうことだ」
 言うが早いか、神父は杏珠の唇を奪う。
 驚いて杏珠は目を見開くが、彼はかまわず唇を舌先で割り中に侵入する。逃げる舌を神父のそれが追い、絡ませて吸い上げられた。

In spiritu et veritate.


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