横を向いて、杏珠はソファに顔をうずめた。
 とうとう我慢していた涙が溢れて、布張りのソファを濡らす。一度、零れた涙は堰を切ったように、とめどがない。
「大勢の中にいるのに、いつも孤独を感じていて寂しくてたまらない。判ってほしいと願いながら常に逃げ道を作ってから行動しているから小さくまとまるしかない」
 低いその声には、幼稚なものに噛んで含めるような優しさがあった。ただそれには、何かを放棄したような響きがある。
「そんな者に誰が本心からの友情や愛情など感じるのか」
 神父は、杏珠の身体を抱き起こしながら、食卓のナプキンで顔を拭こうとする。
 さっきも濡れタオルで拭かれたせいで、すっかり化粧は落ちてしまっただろう。
 そのマスカラやファンデーションを落としたことで汚れたタオルを見られていることを思い出して、今ごろになって恥ずかしくなってきた。

「触らないで」
 ナプキンを神父から取り上げて杏珠は、自分で鼻を押さえた。
 糊の利いた食事用のナプキンは硬い。音をたてないようにして、鼻水を拭く。そうしていながら、頭の中ではたった今、神父が言った事がぐるぐると回っている。
「なんで……そんなこと」
 知っているの、と言いかけて自分でその通りですと認めてしまうのが悔しかった。
 とはいえ、相手はこちらの言いたいことなど、すっかりお見通しなのだ。
 名乗ったことなどなかったのに神父は、杏珠の名を知っている。
 詐欺はよくスーツケースのネームタグを読むのだと聞いたことがあるが、買い物や観光にそんなものを持ち歩くはずもない。

 考えてみれば、彼は最初から杏珠だけに話しかけてきた。
 あのまるで神を揶揄するような言葉も、杏珠が慌てるのを見て面白がっていたような気がする。
 本当にどこかで会ったことがあるのだろうか。
 いや、こんな印象的な人を……それもこれほど目立つ男。見間違えたり見忘れたりするはずがない。
「お前のことなら、なんでも知っている」
 抱き寄せられたまま、身動きもできない。力が強い。抵抗する気を失わせるほどに。
 杏珠の髪を撫でながら、神父は言う。
「お前のその名は寺で付けられたものだ。安産祈願の寺で授かったからと言って、お前の親が同じ寺で命名を依頼した。生まれた産科や分娩時間も教えてやろうか」
「い、いらない……だから、放して……」
 うつむく顎から頬にかけて、がっしりとした手がつかみ、上を向かされる。
 見下ろす眼の色は、相変わらず暗く妖しいほどの甘やかさがあった。
 なぜなんだろう。こんなに怖いのに、この眼に睨まれると胸の底が痺れるような感覚がくる。
 見つめられているだけで、また、目の奥が熱くなって、涙が溢れそうになった。
 彼の意地の悪い言葉のせいだけではなくて、切なさに顔に血が昇るのだ。

 首筋に神父の唇が降りてくる。ざらりとした舌がさらに下へと這う。
 生温かいというより熱い濡れた舌の感触が、気持ち悪いような気持ちいいような……。
 触れられたそこかしこが、火傷しそうに熱い。
 その悩ましさにどうしたらいいのか、杏珠は途方にくれそうだった。
 自分で自分をどんなに叱咤してみても、神父の胸を押しのけようとする手に力が入らない。
 神父の手袋をしたままの掌が胸のあたりに回ってきた。聖職者というのは、いつも白い手袋をしているものだろうか。それも片方だけだ。
 ぼんやりとそんなことを考えていたせいか、前開きのブラウスのボタンが上から順番に外されてゆくのに抵抗するのが遅れた。

「や、やだ。……何するの……」
「服を脱がせているんだが」
 まったく悪びれることもなく神父は言ってのけた。
 そうこう言っている間に、完全に胸元ははだかれてレースの下着があらわになる。
 旅行前に新しい下着を買っておいたことに少しほっとするが、そんな場合ではない。
 今は“交通事故に遭った時にみすぼらしい下着を着ていると恥ずかしくて死んでも死にきれないよ”とか祖母の言っていた状況とはまるで違う。
 こういう場合、むしろベージュのババシャツあたりを着ているほうが、相手の戦意を喪失させるんじゃないのか。

「ドナドナを脳内で歌っていたあたりで、観念したんだろうが」
「ちょ、ちょっと待っ……ぎゃっ!」
 杏珠が悲鳴を上げたのは、神父が下着をずりあげたからだ。
 零れたでた乳房が、たわんだブラジャーの下でぷるんと揺れる。
 身体が小さいくせに胸ばかりが目立つのは、昔からコンプレックスだった。こんなの恥ずかしすぎる。
 むき出しになった自分の胸を信じられない思いで杏珠は、見下ろしていた。
 外気に当てられたせいか惑乱のためか、肌は粟立ち先端はぴんと立ち上がっている。
 薄く色づいたあたりから絞り込むようにして先をつまみあげられると、軽い痛みと同時に甘い痺れを感じた。
「ふっ、ふわっ……!」
 間の抜けた声が出て、あわてて唇を噛む。
 身の内側からくる痺れるような感覚をやり過ごそうとしたが、二度目は手袋をはめた指ではなく唇がきた。
 冷たい唇が硬くなった先端をはさむ。
 神父は身体をこわばらせる杏珠の胸に顔をうずめている。
 今の杏珠の視界には神父の金の髪しか見えないが、舌が巻きついて吸い上げられる感触がいっそう強く身のうちに感じた。
 胸への愛撫だけで杏珠はソファの上で両足をつっぱりながら、全身の震えが止まらない。
 神父は、唇を放し上から杏珠の顔を覗き込みながら満足げに笑った。



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