「あれが神か」

 笑いを含んだ低い声が杏珠の背後から聞えた。
 はっきりとした日本語だ。
 ほの暗い混雑するシスティーナ礼拝堂で、その声は杏珠の耳に響いた。
 決して狭くない礼拝堂も観光客で溢れかえっている。
 私語を禁止しているにもかかわらず、人の話し声は耐えない。
 ときおり警備員が「お静かにシレンシオーソ」と手を打って呼ばわる。その声が大きいのだ。
 さまざまな外国語が飛び交う喧騒の中にあって、先ほど聞こえた声は低いがよく通る。
 杏珠は、思わず耳をそばだてた。
 だが、その必要はなかった。ふたたび低い声は耳もとで囁く。
「下手な冗談だ」
 杏珠は、吐息が耳朶をかすめる感覚にぞくりと身を震わせる。

「そう思わんか。どう見ても寝起きの爺だぞ」
 艶やかなバリトン。深みのある音楽的な声音。
 だが、声が美しいからと言って、本人もそうだとは限らない。
 何より言っている内容は俗なものだし、吐息がかかるほど近寄るなんて失礼すぎる。痴漢行為と言っていい。
 だが、本当に自分に向かって言われているものだろうか。
 これほど混雑しているのだ。思い違いかもしれない。痴漢……と思うのは、とんでもない自意識過剰なのかも。
 確かめたい気もする。
 相手はすぐ後ろにいるようだ。いきなり振り返ったら気まずい思いをするかもしれない。

 杏珠は、振り返らずに首をのけぞらせて高い天井を仰ぎ見た。そうしていながらも、内心では背後が気になって仕方がない。
 ヴァチカン宮殿内に建てられたシスティーナ礼拝堂は、七階建てのビルに匹敵するほどの高さがある。
 薄暗い堂内は、観光客で込み合いながらも、荘厳な雰囲気に包まれていた。
 カトリック信者、約11億6千6百万人の総本山であり礼拝堂は、教皇選出コンクラーベの会場としても知られている。
 高い天井のほぼ全面には、多くの天井画が描かれており、その一枚一枚がとてつもなく巨大だった。
 ミケランジェロのフレスコ画である。
 主題は旧約聖書の創世記で、その中でも最も有名な“アダムの創造”。
 神は大地の土から自分の姿に似せて人間を創造し、アダムに生命を吹き込み、地上の支配者という役割を与えたという。
 中央の創造主と最初の人類であるアダムの指先が触れる部分は、神の意志と生命の伝達を表す場面だ。

 今から五百年以上も前に描かれたフレスコ画は、二十世紀末に全面的な洗浄と修復作業が行われ、制作当時の鮮やかな色彩が蘇っている。
 天使たちに囲まれ、薄い長衣をまとった神とアダムは互いに手を差し伸べあい、今まさにその指と指が触れようとした瞬間だ。
 感動的な場面は“寝起きの爺”と言われてしまうと、どうにも頭がそこから離れなくなってしまう。
 確かに、言われてみれば、手を伸ばす神の衣装は、淡いピンク色のパジャマにも見えた。

アダムの創造 ミケランジェロ・ブオナローティ
Creazione di Adamo 1510年





 天井画に熱中して長く見上げているだけで、首がだるくなる。
 これを描いた画家はたった一人で4年もの歳月をかけたというのが信じられない。
 首をさすりながら、なにげないふうを装って振り返る。
 自然な素振りを演じたつもりで、失敗した。
 すぐ後ろに立つ相手と、まともに目が合ってしまったのだ。
 若い神父が立っている。
 キャソックというのだろうか。黒いケープに踝近くまである長い僧衣を着た背の高い神父だ。見上げて杏珠は、息を呑む。
 同じ血肉を持つ人間とは思えないほど、美しい顔をしている。
 先ほどまであれほど騒がしかった観光客たちでさえも、ものも言わずに神父を見つめていた。
 気づかなかったのは、杏珠だけだったらしい。
 いつの間にか、ごった返していた礼拝堂の中で神父と杏珠の周囲だけが輪を描くように人々は離れていた。
 カトリック教会の中心地であるヴァチカンでは当然のことながら聖職者の姿はよく見かける。
 それでもこの神父は、いかにも不自然で現実離れしていた。
 堂内の薄暗さのせいばかりではない。
 蜜のような金髪は、顔の右半分を隠していたが、きつい左眼が強烈な印象を与える。
 眸は暗い。寒気がしそうなほどだ。
 黒髪や褐色の髪ブルネットならともかく見事な金髪を持ちながら、これほどに暗い色の眸の色は珍しい。
 見つめられると、吸い込まれそうな錯覚を覚える。
 ふいに神父と眼が合った。
 途端、鳥肌が立つというのか。血がざわめくような奇妙な感覚が指先まで走った。
 強い視線に絡め捕られ、身動きができなくなる。
 さながら、蛇に睨まれた蛙になった気分だった。
 ギリシャ神話ではメドゥーサに見つめられた人間は石になると言うが、そんな生易しいものではない。
 冷たい手に胸をこじ開け、心臓をゆっくりと潰される。
 生きたまま四肢をバラバラにされるような、はっきりとした恐怖が喉を締めあげてくる。

 杏珠のイメージにあった聖職者とはまるで違う。
 よほど高位の聖職者なのだろうか。
 見た目は若いが、かなり落ち着いて見える。まさか神学生ではないだろう。
 神を冒涜するような言葉を、この神父が口にするはずがない。
 おそらくは観光客の誰かが言った冗談か。私語厳禁の礼拝堂でも、我が物顔で大声を上げている日本人もたまにいる。
 もしかしたら、自分がそんな日本人の一人と思われているのかもしれない。
 杏珠は、あわてて視線をそらせた。

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